新潟は商工業が発展し、国内有数の穀倉地帯を抱える日本海側唯一の政令都市です。
しかし大正時代までは洪水が度々起こる水害常襲地帯で、ろくに米も育てられず飲み水も確保できない、人が住むのは厳しい土地でした。
そんな新潟を現在の発展に導いたのは、大正時代に造られた大河津分水路です。
今回は新潟を大きく発展させた大河津分水の歴史を紹介します。
#大河津分水 #新潟の治水 #新潟の歴史
目次
0:00 イントロ
1:36 新潟の水害の歴史
3:04 分水駅(JR越後線)から大河津分水へ
3:32 各所の説明① 大河津分水の可動堰
5:26 各所の説明② 大河津分水の自在堰と旧可動堰
6:51 各所の説明③ 信濃川の洗堰
8:01 各所の説明④ 信濃川の旧洗堰
8:41 大河津分水資料館と大河津分水の歴史
12:56 石碑から知れる分水工事の苦悩の歴史
18:07 先人たちの苦労と偉業を偲ばせる桜並木
19:29 地方と都市の構図
21:00 補足 信濃川の洪水以外にもあった新潟市の発展を妨げたもの
■ブログ
YouTubeで紹介しきれなかったことを書いています。
(江戸時代の越後平野の深田での農作業、分水工事を中断させた住民の反発、分水工事再開を決定づけた横田切れの悲惨な惨状など)
https://tsuzuritabi.com/nihonissyuu-2-day13-2/
通常のブログ
https://tsuzuritabi.com/nihonissyuu-2-day13-1/

1 Comment
以前、新潟に住んでました。
いつ行っても休館中で縁のない分水資料館でしたので、興味深く拝見させて頂きました。
ふと思うと、新潟は本当に金が掛かる地域だなと思います。
冬は豪雪、夏は水害、度重なる地震、肥沃な土地だからこその軟弱地盤も酷いですし、信濃川河口の新潟西港は川からの堆砂で埋まる為、定期的な維持は必須。結局、豊栄に新潟東港を新たに掘る羽目になりました。
ほんとに大変な苦労の上に成り立った発展です。
日本広しといえど、ここまで自然環境に喧嘩を売って手に入れた発展ってのはなかなかないんじゃないかな?と思います。