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千古の時を重ねる南国・高知県の総鎮守:高知県・土佐神社(Tosa Shrine | The most prestigious shrine in Kochi)



▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:41 社号碑
0:56 楼門
1:14 参道、手水舎、末社・秋葉神社
1:44 大鳥居
1:56 社殿
3:44 上空から見た社殿
3:50 摂社・西御前神社
4:08 輪抜祓所
4:20 末社・厳島神社
5:02 御神木・大杉
5:20 礫石(つぶていし)
5:26 末社・神明宮
5:44 末社・瀧宮
5:56 鼓楼

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は高知県高知市に鎮座する土佐神社(とさじんじゃ)を紹介します。

JR土讃線の土佐一宮駅から北へ2km弱。高知駅からは約5km離れた位置に約1万坪の緑の社地を構える土佐神社は地名通りの旧土佐国の一宮神社。同社は土佐を象徴する神社であり、2009年にはNHK大河ドラマ『龍馬伝』のロケ地にもなった場所です。

現在は二柱の神様を祀る神社ですが、古くは原始的な磐座信仰があった場所と考えられています。事実、境内には古代の霊石・礫石(つぶていし)が残り(動画内では5:20)、同社では縁起に関わる史跡として丁重に祭祀。また、近隣には明治時代に道路を新設するまで一宮大塚古墳が存在していました。

土佐神社の歴史は古く、創建は5世紀後半頃。歴史深い同社は多くの武将にも敬われました。県道沿いに聳える楼門(動画内では0:56)は土佐藩2代藩主・山内忠義の寄進。外見は派手さを抑え、重厚感を漂わせたもの。

その楼門から境内まで約300mの参道が続き、楼門、大鳥居、拝殿、幣殿、本殿が一直線に並ぶ構造をしています(故にこの神社を、参拝客を一人も映さずに撮るのは結構大変です)。

現在の社殿は1570年の造営。1563年に長宗我部氏と本山氏の合戦で旧社殿が焼け落ちた後、勝者の長宗我部元親が四国平定を祈って再建したものです。

社殿の建築様式は全国的に見ても非常に独特で、俗に「入蜻蛉(いりとんぼ)様式」と呼ばれるもの。本殿を最奥に、左右に大きく翼を張り出した拝殿と、長めにしつらえた拝殿を十字型に組み合わせている。そのため、上空から社殿を見下ろすと、まるで翅(はね)を広げたトンボ(幣殿+拝殿部分)が本殿に飛び込むような趣をしています(動画内では3:44で入蜻蛉様式社殿の上空からの様子を見ることが出来ます)

素早く勇ましく前進するトンボは、古来「勝ち虫」と称され、日本神話を扱った『古事記』には第21代天皇・雄略天皇の腕にたかったアブを食い殺したとの記述もあります。往古の武士はそんなトンボを縁起物とみなし、武具や陣羽織などの意匠に取り入れました。土佐神社の入蜻蛉様式も、そうした風潮のなかで生まれたものです。

社殿を造営した長宗我部元親はトンボが飛び込む形に仕上げた同社を、凱旋報告の社と位置付け、戦果を挙げるたびに参拝し、ご祭神の加護に感謝したといいます。

『古事記』の国産みの段において、土佐は「建依別(たけよりわけ)」、すなわち勇猛な男子の国と紹介されています。現在でも、土佐の男は大胆かつ頑固な「いごっそう」を自認するといいますが、土佐神社の社殿にもそんな大胆な造りを取り入れているのは興味深い点です。

そんな武将の崇敬をあつめた土佐神社のご祭神は味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)。この二柱の神はもともと大和(現在の奈良県)の祀官の氏族・賀茂氏が葛城山に祀った神でしたが、狩りの最中に第21代天皇・雄略天皇の不興を買って土佐(現在の高知県)に流され、土佐神社のご祭神となったとされています。

味鋤高彦根神は農耕治具である「鋤」の字が示す通り、開拓や農耕にまつわる神様。父は国造りを行った出雲大社のご祭神でもある大国主神(おおくにぬしのかみ)、母は海路の安全を司る宗像三女神の一柱・多紀理毘売命(たきりびめのみこと)。『古事記』では死んだ別の神様と間違われて激怒するなど、直情的な神様(簡単に言うと『怒りの沸点が低い神様』)としても知られており、それが転じて雷神の側面も持っています。

一方の一言主神は言霊・託宣の神。吉兆を一言で表すとされ、和合協調の神、一言で物後を解決する神様と言われています。

一見すると相交わることのないように見える二柱の神様を祀っている土佐神社は農業繁栄、航海安全など幅広いご利益が受けらえる社として崇敬を集めています。

Tosa Shrien is a Shinto shrine located in the Ichinomiya-shinane neighborhood in the northeastern part of the city of Kōchi, Kochi Prefecture, on the island of Shikoku, Japan.

It is the ichinomiya of former Tosa Province.

It is not known when the Tosa Shrine was founded. Per the shrine’s legend (as recounted in the late Kamakura period Shaku Nihongi) when Emperor Yuryaku was hunting near Mount Yamato Katsuragi in Yamato Province, he encountered Hitokoto-no-nushi no kami, but due to his irreverent behavior the Emperor had him exiled to Tosa Province. The exiled deity was first enshrined at a place called ‘Kamonochi’ where the locals worshipped a god called “Kano Omikami” and was later transferred to the present location.

In the Engishiki records, the shrine was named as a Myōjin-taisha, the only such shrine in Tosa Province. Per the “Hyakurensho” records of 1224, the shrine was completely destroyed by a typhoon. The shrine is first named as the ichinomiya of they province in 1326 in an account of a battle between forces of the Northern and Southern Courts which occurred in the vicinity. It is believed that a shōen manor called Ichinomiya-shō was formed around the shrine during the Kamakura period, and that the priests of the shrine became secularized samurai in the Muromachi period under the name of the “Ichinomiya clan”. The shrine was destroyed again around 1509 in the wars of the early Sengoku period,and was reconstructed by Chōsokabe Motochika, with the current Honden, Heiden and Haiden of the shrine completed in 1571. Various vassals of the Chōsokabe were assigned to reconstruct lesser structures and several villages in the vicinity of the shrine were assigned to the shrine for its upkeep. During the Edo Period, the Yamauchi clan who ruled as daimyō of Tosa Domain, further constructed to the shrine, with the second daimyō, Yamauchi Tadayoshi, contributing the Rōmon tower gate in 1631 and a drum tower in 1649.

Following the Meiji restoration, the shrine was renamed Tosa Shrine in 1871 and it was designated a National Shrine, 2nd rank under the Modern system of ranked Shinto shrines.

13 Comments

  1. 良いですね、鳥居と社殿の扁額が味わい深いて渋いです。朱塗りの社殿と見事なコントラストです。四国一周したいんですけど最大のネックは伊予国一の宮、大山祇神社さんが直書きを再開してくれない事でしょうか‥。うp主さまの八代宮の動画を観てこの度菊池神社さまと八代宮さまにお詣りをして御朱印を拝受しました。建武中興十五社巡りも三社を巡ったのでボチボチ行きたいとおもいます。

  2. 四国と言うと北側に大きい神社多いですが土佐にも良い神社有りますね。拝殿が黒で本殿が朱色は少し変わっている気がします。古墳時代からの長い年月崇敬されていた神社なら土佐に行ったら、カツオのたたきだけでなくこちらも参拝したいですね。

  3. 四国に来て下さっていたのですね。土佐神社の立派な建物が詳細に分かってこの何とも言えない静寂な雰囲気がグッと来ます。空撮で神社の全体像と鎮守の森の様子が見れるのも良いですね。

  4. 東京からは中々行く機会のない高知県。貴重な映像をありがとうございました。

  5. 森の中に吸い込まれるような奥にある「礫石」に惹き込まれました。
    重厚感あるシックな雰囲気が素敵でした✨

  6. 私にとっては、なかなか行く機会がないと思われる高知の土佐神社。
    こうやってYouTubeでじっくり見えれる機会がある事にとても感謝します。それにしても広いですね♪

  7. ついに土佐までいきましたか!
    全国一宮巡り?すごい行動力ですね。。。
    私もそろそろ、全国を走り回りたいと考え中です。
    でもその前に、ワンカット紀行さんのように撮影スタイルと技術を確立したいです。

  8. Beautiful Tosa Shirne walking tour. Enjoyed this so much. Thank you for sharing my friend.

  9. 約300mもある楼門から境内までの参道を参拝客を一人も映さずに撮影されるのは。想像を絶する大変さだと思います。
    更に上空から見た社殿の近くの道路に車が1台も走行していなかったり!!いつも感動と同時に撮影状況への好奇心が抑えられなくて・・・唐突な質問ですいません。。が、、撮影は朝早くや参拝客が引いた夕方の撮影ですか?全てスローでの撮影ですか?知りたがりですいません。今回も感動的な撮影を視聴できてありがたいです\(^-^ )/

  10. これは凄い❗
    高知県の総鎮守ですか😲
    簡単に行く事ができないので、見せていただきありがとうございます😄
    まるで自分が参拝しているかのような、素晴らしい映像でした👏
    さすがの一言です😄

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