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今回は岐阜県本巣市の根尾地域と呼ばれる場所にある越波集落を訪れました。
ここは、前回取り上げた大河原集落と位置が近いこともあり、古くからこの二つの集落は深い関りがあったそうです。
起源を辿れば7世紀まで遡ることができるという越波集落は、山深い根尾地域の中でも特に辺境に位置し、人々は雪害をはじめとする自然災害に常に脅かされてきました。
現在、この集落に定住者はおらず、春から秋にかけての期間のみ、元住人の方々が定期的に集落の維持管理のために訪れます。
夏場は下の方から川遊びの為に人が訪れたり、年に2回のお祭りは未だに行われているなど、廃村とはいえ集落にはまだまだ活気があります。美しい日本の古き良き集落の風景を色濃く残したこの集落は、はるばる見に訪れる価値のある場所だと感じました。
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◎お勧め動画はこちら
【廃村探訪】元盛松集落 – 100年前に無人と化した海の見える廃村
【廃村探訪】大河原集落 – 集落最後の住人との出会い
【廃村探訪】越波集落 – 1000年を超える歴史を誇る岐阜の秘境
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チャプター
0:00 オープニング・越波集落について
0:59 樽見駅にて
2:23 最初の挨拶
2:56 集落を探索していく
7:56 集落の掲示板を発見
10:29 越波集落の冬について
12:00 元住民の方へインタビュー
14:03 珍しい装置を見学させて頂く
19:00 集落の昔と杉問題
23:27 住民の方と別れ、さらに集落を探索していく
24:58 エンディング、後編へ続く
#廃村 #廃墟 #廃村探索
26 Comments
秘境に有る廃棄では無い集落ですか
これまた珍しいと見入ってしまいました
川綺麗な水ですね~手入れされているので
不気味さは無いですね 水に恵まれている様で 清々しい感じです 楽しく視聴させて貰いました😄✌️動画ありがとうございます
このようなところは元の住人が時々管理に来るシステムだといいですね。 観光地にもなると思うし空気もきれいで、駅前は素朴で良い感じ。
学校みたいの建物、田舎暮らし体験施設かな、地元の方に聞いたいいな。
オーストラリア在住の爺さんです。日本の田舎が過疎地になって住んでいる人がいない。空き家も多く、安く売ってますね。助手のジョシュさん日本語はネイティブ並みですね。私は反わくなので旅行ができないのですが、こういう動画を見て満足感を味わっています。こういうところは一人で行くのは無理ですね。海外だと、治安が悪い、泥棒や空き巣が来るので住むのは大変です。日本の安全さは宝ですね。
懐かしー!!よく行きました!オッパは松葉姓がほとんどですね。
まだ、住人が居た時は知り合いが居りまして山村料理を良く食べに行きましたよ。6月にはホタルが群生してましてとっても綺麗です!
薄墨桜よりさらに山奥なんですね、でも昭和の素朴感がノスタルジーでいい感じですね。
私は小さい頃、おそらく30年前にオッパ村に連れて行ってもらいました。まさに水が止まることなく流れそしてこの廃屋の住人にでお世話になったことが何度もあります。この映像はたまたま、拝見させていただきましたが、涙が出そうになります。本当に優しいお爺さんとお婆さんでした。久々にいい画像見させていただきました。今度、息子と、樽見から自転車でも伺いたいと思います。ありがとうございました。
千葉では、この様な自然の中に老人ホームやデイサービスの施設が多く建設されています。冬は過酷な環境ですが、高齢者の方は自然の中を散歩したり眺めたりしているだけで穏やかになります。
都内などの、箱物の建物内居住区だと 、ストレスで喧嘩や暴言など多発するそうで、自然の力は偉大です。
紅葉シーズンに、なるころの山渓には大きな鮎はいません。
アマゴうまし の短歌にあるようにアマゴだとおもわれます。
思い出しましたね。
昭和時代はトウミわお米も使うし
胡麻も普通に見るし
懐かしいです。
ありがとう御座います。
もと住民のかたのお話やエゴマの農工器具の使い方を教えてくれたおじさん優しいかたですね。ふれあいが良いですね。
八幡神社は戦の神として大戦中は武運長久を祈りに訪れたようです。ただ一説にはヤハタとも読みますよね?ヤとはヤハウェのことで旧約聖書つまりユダヤ教の神様を意味します。ハタは秦氏→渡来人ですが彼らが持ち込んだ神様であり同時に仏教も同時期に伝わりヤハウェは神社に吸収されていったという説があります。よってジョンさんだっけ?宣教師さんと通じるところがあるんじゃないでしょうか?
こんばんは(^^♪
最近このチャンネルを知ったのでコメントの時系列がばらばらですみません。
地元の方との会話は昔を思いでして懐かしいし新鮮ですね!(^^)!
とうみは小学生の時に米の選別で使ったことがあります、きれいに保管されててびっくりでした(^^♪
空モミともモミの選別と脱穀した米ともみ殻を選別するのにも使ってました!(^^)!
これからも動画楽しみにしてます(^^♪
historicaさんこんばんは~
昨年の映像が出てきたので拝見しました。
私の実家も農家だったのでこの「トウミ」という機械ありましたので
懐かしく子供のころ手伝っていたな~と思い出しました。
住人の方に会えてよかったですね。
止めておと冬に凍って水道管が裂ける。
中で水が腐る。
エゴマやってる容器が溶接で使う300キロワイヤーの容器で何処から手に入れたのか気になる
助手のジョシュです。笑った。
樽見駅は、おそらく、根尾谷の薄墨桜を見に行ったときに、降りたような。
そこの宿屋さんに、2泊して、薄墨桜を見た。
その宿屋さんは、宇野千代も泊まったはず。
水上勉も、小林秀雄も、今日出海も?、ここには来てたはず。
薄墨桜の左側の高い土手の家が、空き家だった。
ここに住むのはどうかと、ふと思ったが。
樽見駅周辺は、小さな町で、病院もあったような?
*
初夏には、ササユリも見られる、と宿屋のご主人が言っていたような。ホタルも。
*
樽見からの帰りに、大垣で降りて、時間があったので、芭蕉の由緒のあるところをさがして、大垣の町を歩いた。思いがけない、旅だった。
地元の方への言葉遣い、振る舞いは、徹底的に丁寧、丁重にされたほうが、いいのではと思いました。若いからという言い訳はきかないだろうから。
今回は、少し、あぶなかった。ひやひやした。
外国人のジョシュがいて、かえって、よかったのかも。
多分見えた魚は鮎ではなくアマゴかもしれないですね、関東ではヤマメ中部地方から西はアマゴといいますね、懐かしい農機具が出てきましたね私の母親の実家にも有りました関東ではお米や大豆の殻との選別に使ってた様な気がする、エゴマは少し前に健康志向の人達に人気みたいな、それに良い値段で取引きされてる様な話を聞きました
住民の方のアクセントが名古屋辺りと似ていて中々興味深い
杉の木がなくて山の上までの畑が残っていたらもしかしたら今それなりの観光地になっていたのかも
何年か前ここでオッパノネという音楽フェスがありソフトバンクはそのときとおしたのではないかとおもいます。
夏でしたが夜は寒く若者は着こむいっぽう元住民のおじさまたちはとても薄着だったのをおぼえています笑
小高い場所にある家いいですねぇ😏
こんにちわ😊
私は若い頃から、旅スケッチの仕事で全国を歩き回っていましたが、高齢者になり休業。でもあなたの動画で、また描きたくなりました!有難う😊
岡安さん、集落ノ人たちは、みんな、純粋で、言い方ばかり、親切に、されたら、菓子折りとか、缶詰とか、差し上げて、買い物に、不便な、ところだから、おねがいです。
たるみずって読むんですか?、愛知の人だと思ってた、えごまは何に何使うのですか‥・ここに住んでるんですか…笑、まだでん車、乗れるんですね、いちど乗ってみたいな、たるみ鉄道、私の実家○市たるみ町なので…
廃村には、そこで懸命に生きてきた先人の魂がこめられていて、離村せざるおえなかった人々の無念さも感じられますが、それを幽霊がいるような心霊スポットとするのには疑問を感じます。肝だめし的に廃屋の中にまで入って荒らすのはひどい、と思います。
今までのどの家も、木の家はくちていく過程でも滅びの美みたいなものを感じますね。