Walk around the residential area near the heaven, Nagasaki Inasa mountainside (Nagasaki Prefecture) / Intermediate city of the heavens that should be called a god.

長崎は、ポルトガルとの南蛮貿易港として元亀2年(1571年)に創られた港町である。江戸徳川幕府の鎖国時代でも唯一の貿易港として、オランダと中国との交易だけが許され、全国で唯一長崎港だけが開かれていた。鎖国時代は出島に外国人居留地を造り、西欧文化の玄関口となっていた。長崎は他の都市が明治維新後西欧文化が入ってきたのとは違って、ずっと昔から途切れることなく海外に接していた町である。明治期になるとそれまでの独占的な立場は失ったが、造船所が出来て近代工業都市として発展した。
長崎の斜面上住宅地は、長崎港の西側にも形成されている。長崎港の自然の入江地形を巧みに利用し、長崎湾官営から三菱へ、財閥解体後三菱重工へと受け継がれたのが長崎造船所である。その周囲には、工場の外にも三菱重工関係の施設が建てられ、「三菱通り」という通り名など、企業城下町となっている。そして、背後の稲佐山へ上る斜面には住宅地が駆け上がっている。造船所は海岸線に近い場所で水深が深くなければならない。したがって、長崎のような山が海に落ちる地形の場所が選ばれ、入江にドックが築造される。そうなると、背後の斜面は尾根と谷が繰り返す地形となり、住宅地は谷に面する斜面上に形成されている。

集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm
Database 長崎引佐
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/nagasaki_data/inasa/inasa_file.html
Database 長崎飽の浦
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/nagasaki_data/akunoura/akunoura.html

12 Comments

  1. 懐かしい想い出の三菱重工業長崎造船所勤務時代の工場…。更には住んで居た入船町、大谷町!!40年ぶりの里帰りの映像を届けて頂きました。ありがとうございます!!

  2. 稲佐山展望台からの夜景は最高です。マンボウさん、いつもお疲れさまです。ありがとう御座います。

  3. 5:58/11:05 – it's always facinating to see the waterways that drain the rain… So many stairways as well, easy to get lost at nightime! Great view from the Nagasaki Ropeway!

  4. 集落さん、よくぞご無事でという動画ですね。ストロークの長い路地・メイズ・立体あみだくじですね。最後に長崎ローウェイに乗られたのでほっとしました。

  5. 3部作を感慨深く見させていただきました。ありがとうございました。
    昔訪れた長崎駅の頭上に張り出す、人工培地に建てられた家や、知り合いから借りた”ペコロス母に会いに行くの”DVDに回顧録で、主人公の母親が給料日に天界の階段の道を長崎の造船所に勤める夫を迎えに行くと、給料をすべて使い果たしていたシーンなどを思い出しました。
    また次回を楽しみにしています。

  6. これほどディープな長崎探訪は見たことがありません。拝見するとWalkerさん結構なお歳のようですね。
    地元民でも行ったことのないような険しくて狭くて疲れる道を紹介していただき本当にうれしく思います。
    本来なら一般観光客にも知っていただき本当の長崎の良さをわかってほしいと思いました。お疲れさまでした。

  7. 同じ長崎市民でありながら「うわーっ もう 歳とったらここ住みきらんかも知れん・・。」

  8. 100段ごくろうさん 救われますね 心細くなるような墓地の細い道ですね 稲佐山展望台は風光明媚でした オイラは車で行きましたが なにか?「本来ならあの山の上 無理です 体力の限界です」 よーくわかります  さぞかし 筋肉痛になられたことでしょう

  9. 稲佐山展望台からの眺めは、どことなく、尾道の千光寺公園からの眺めに似てるところがありますね。

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