This is one of the Japanese restaurant in Colombo in Srilanka.When I went to Srilanka from Bangkok in Thailand.I went to many places in Srilanka. One of the places I went is Colombo. There are so many people,shops,cars,bikes etc. This city is big city the population is over 2million,also this city was capital city until 1985. If you walk on the road,people talk to the tourist and start to guide and say to you“Tipping please“ need to be careful for that.
スリランカを2011年7月訪問。多くの場所を訪れたが、その一つがスリランカ最大の都市であるコロンボである。コロンボでは旅でお世話になったドライバーが日本食を食べた事がほとんどないとの事で、日本食レストランを探し、日本ばしレストランで食事をした。お寿司、刺身等を中心に頼んだ。合計で8000円ほどして大きな出費になった。オーナーのお父さんは日本人、お母さんはスリランカ人でハーフのオーナーである。1985年に首都が移転されるまで首都であった。市内は喧騒感に満ちており、市内を歩いているといろんな人に話しかけられる。この場所はコロンボ市近郊の町である。大工さんの町らしい。親日国・スリランカ!!この国は昔から日本のODA援助(資金と技術)により道路や学校、橋、空港等が建てられている。日本が最大のODA援助国である。今でこそ、国際力の低下によりODA援助額が一位ではなくなったが、2005年までは20年近くずっと一位だった。 我々日本人の税金が各国で援助の形で使われているのだ。
人々は親日的な人が多く、日本の援助に関して非常に感謝している。いたるところにその感謝の碑がある。ここは2004年12月のスマトラ沖地震の際に津波により数万人規模の死者を出したスリランカ南西部の海外地帯である。この時、日本政府は多額の資金援助と橋や道路の修復をした。これをほとんどのスリランカ人は知っており、感謝している。実際に多くのスリランカ人と接して話してそれが分かった。この国ではあまり中国人や韓国人がよく思われていないようだ。ホテルやレストランで騒ぎたて、汚し、迷惑を掛けるためである。
当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナ氏が尽力したのだった。スリランカが、「英連邦内自治領セイロン」であった当時、随一の実力者だった彼は、サンフランシスコ講和会議に出席する。席上、諸外国からは、「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか。」「日本は南北に分割して統治すべき」「日本を独立させるのは時期尚早」などなど、
さまざまな議論・意見が出る中、ブッダの言葉を引用し、こう語た。「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。
我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで、元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」と。
対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行った。
この演説が、当時わが国に厳しい制裁措置を求めていた一部の
戦勝国をも動かしたといわれ、
その後のわが国の国際復帰への道につながる。(旧ソから突き付けられた厳しい修正案に反対している。制約をつければ日本が宗主権と平等と尊厳を取り戻す事が不可になるからであると。
象徴的出来事として記憶されている。氏は親日家としても知られ、何度か来日している。その時に述べたのが、日本、日本人がなぜ好きかというと、西欧に対して独自の存在を示しているからだ。それに仏教国だから。平和条約締結後、日本は本当に良くスリランカを助けてくれた。と発言している。
多くの国々が日本へ感謝しているがため、東日本大震災の際に多くの援助をいただいた。 我々、日本人はもっと誇りと自信を持つべきである!!

AloJapan.com