2023/8/8福岡警固2丁目周辺を歩く4k virtual Fukuoka japan walking tour around Kego 2 #fukuoka #福岡 #警固 #virtualtour4k #4kvideo 4k videoFukuokaFukuoka destinationsFukuoka tourfukuoka travelFukuoka tripFukuoka vacationKego Fukuoka 4kKego Fukuoka japanvirtual Fukuoka japan walking tour Kego 4kvirtual tourVirtual Tour Japan 4Kvirtual walking tourvirtual walking tour 4kvirtual walking tour japan福岡警固福岡 2 Comments Krusnik02 2 years ago is Fukuoka better than Tokyo for living? 黒木正一 2 years ago 今回も私の生活圏内だった「警固2丁目」の散策ありがとうございます。昭和の時代、正直なところ警固2丁目は校区内ではあったのですが、あまりエリアとしての思い出がないんですね。どうやら、めぼしいプレイスポットや商業施設がほとんど無かったのが大きな理由でしょうね。 10:37の「サニー」も21:47の「警固本町公園」も当時は存在しませんでした。かすかに記憶に残る友人宅や駄菓子屋さんも跡形もなく消えてますね。そんな中での数少ない思い出の場所が14:14の「筑紫女学園」ですね。 「福岡女学院」「福岡雙葉」と「福岡市お嬢様学校の御三家」として並び称されることでも有名です。半世紀以上昔、小学校入学したての私を心配して、私の母がご近所付き合いのよしみから、同じく「筑紫女学園中学校」に入学したての「美鈴さん」に私と一緒の登校(付き添い)を依頼したのでした。まぁ、過保護もいいところですが、美鈴さんは快く引き受けてくださいました。 6歳年上のお姉さんとの登校は正直照れくさくもあったのですが、その反面一人っ子の私にとっては、あたかもお姉さんができたかのような心地よさも感じていましたね。毎回警固小の門の前まで送っていただき、「大きい声で挨拶しぃよ」「給食残さず食べりぃよ」と種々のアドバイスをされてから歩道橋を登って筑女に向かわれていました。結局、トータル2ヶ月程お付き合いしていただけました。その後も、プールや映画にも連れて行ってくれたりと親しい関係は継続しましたね。 それゆえに、大げさではありますが、私にとって筑女は今でも暖かい「聖母」のスクールイメージの存在なんですね。なお、美鈴さんは6年後「津田塾大学」に進学されました。もう一つ、余談ではありますが、筑紫女学園中学卒のとある有名人の思い出です。 昭和40年代の半ば、私の通っていた幼稚園はバレエ芸術学校でもあったのですが、ある時、校長先生(女性)が「うちの学校の卒業生の留美子さんです。今、宝塚音楽学校に通われてるんですよ。将来歌手を目指してるそうです。バレエもとっても上手だったのよ。帰福されたので本校に寄ってくださったそうです。」と、ある女性を紹介されました。当時は「へぇ~ ベッピンさんやねぇ」くらいにしか思わなかったのですが。。。数年後、その方は「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」のヒット曲で大スターとなってブラウン管に登場されました。彼女の名は「小柳ルミ子」さん。 後年、ルミ子さんが「ご対面番組」で校長と涙の抱擁をされてるシーンを目の当たりにして私も目頭が熱くなりました。話が脱線して大変に恐縮です(笑)。 警固も今風な各種飲食店が立ち並び、けやき通りも近いこともありおしゃれタウンの地位を確立しつつあるようです。29:33の「公団警固住宅」(現UR警固)のような半世紀前からの建物は例外ですね。 しかしながら、私にとっての警固2丁目とは、筑女にまつわる思い出に尽きるといったところでしょうかね。。。今回もディープな思い出を想起させていただける動画のUPをありがとうございます。Write A CommentYou must be logged in to post a comment.
黒木正一 2 years ago 今回も私の生活圏内だった「警固2丁目」の散策ありがとうございます。昭和の時代、正直なところ警固2丁目は校区内ではあったのですが、あまりエリアとしての思い出がないんですね。どうやら、めぼしいプレイスポットや商業施設がほとんど無かったのが大きな理由でしょうね。 10:37の「サニー」も21:47の「警固本町公園」も当時は存在しませんでした。かすかに記憶に残る友人宅や駄菓子屋さんも跡形もなく消えてますね。そんな中での数少ない思い出の場所が14:14の「筑紫女学園」ですね。 「福岡女学院」「福岡雙葉」と「福岡市お嬢様学校の御三家」として並び称されることでも有名です。半世紀以上昔、小学校入学したての私を心配して、私の母がご近所付き合いのよしみから、同じく「筑紫女学園中学校」に入学したての「美鈴さん」に私と一緒の登校(付き添い)を依頼したのでした。まぁ、過保護もいいところですが、美鈴さんは快く引き受けてくださいました。 6歳年上のお姉さんとの登校は正直照れくさくもあったのですが、その反面一人っ子の私にとっては、あたかもお姉さんができたかのような心地よさも感じていましたね。毎回警固小の門の前まで送っていただき、「大きい声で挨拶しぃよ」「給食残さず食べりぃよ」と種々のアドバイスをされてから歩道橋を登って筑女に向かわれていました。結局、トータル2ヶ月程お付き合いしていただけました。その後も、プールや映画にも連れて行ってくれたりと親しい関係は継続しましたね。 それゆえに、大げさではありますが、私にとって筑女は今でも暖かい「聖母」のスクールイメージの存在なんですね。なお、美鈴さんは6年後「津田塾大学」に進学されました。もう一つ、余談ではありますが、筑紫女学園中学卒のとある有名人の思い出です。 昭和40年代の半ば、私の通っていた幼稚園はバレエ芸術学校でもあったのですが、ある時、校長先生(女性)が「うちの学校の卒業生の留美子さんです。今、宝塚音楽学校に通われてるんですよ。将来歌手を目指してるそうです。バレエもとっても上手だったのよ。帰福されたので本校に寄ってくださったそうです。」と、ある女性を紹介されました。当時は「へぇ~ ベッピンさんやねぇ」くらいにしか思わなかったのですが。。。数年後、その方は「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」のヒット曲で大スターとなってブラウン管に登場されました。彼女の名は「小柳ルミ子」さん。 後年、ルミ子さんが「ご対面番組」で校長と涙の抱擁をされてるシーンを目の当たりにして私も目頭が熱くなりました。話が脱線して大変に恐縮です(笑)。 警固も今風な各種飲食店が立ち並び、けやき通りも近いこともありおしゃれタウンの地位を確立しつつあるようです。29:33の「公団警固住宅」(現UR警固)のような半世紀前からの建物は例外ですね。 しかしながら、私にとっての警固2丁目とは、筑女にまつわる思い出に尽きるといったところでしょうかね。。。今回もディープな思い出を想起させていただける動画のUPをありがとうございます。
2 Comments
is Fukuoka better than Tokyo for living?
今回も私の生活圏内だった「警固2丁目」の散策ありがとうございます。
昭和の時代、正直なところ警固2丁目は校区内ではあったのですが、あまりエリアとしての思い出がないんですね。
どうやら、めぼしいプレイスポットや商業施設がほとんど無かったのが大きな理由でしょうね。
10:37の「サニー」も21:47の「警固本町公園」も当時は存在しませんでした。
かすかに記憶に残る友人宅や駄菓子屋さんも跡形もなく消えてますね。
そんな中での数少ない思い出の場所が14:14の「筑紫女学園」ですね。
「福岡女学院」「福岡雙葉」と「福岡市お嬢様学校の御三家」として並び称されることでも有名です。
半世紀以上昔、小学校入学したての私を心配して、私の母がご近所付き合いのよしみから、同じく「筑紫女学園中学校」に入学したての「美鈴さん」に私と一緒の登校(付き添い)を依頼したのでした。
まぁ、過保護もいいところですが、美鈴さんは快く引き受けてくださいました。
6歳年上のお姉さんとの登校は正直照れくさくもあったのですが、その反面一人っ子の私にとっては、あたかもお姉さんができたかのような心地よさも感じていましたね。
毎回警固小の門の前まで送っていただき、「大きい声で挨拶しぃよ」「給食残さず食べりぃよ」と種々のアドバイスをされてから歩道橋を登って筑女に向かわれていました。結局、トータル2ヶ月程お付き合いしていただけました。
その後も、プールや映画にも連れて行ってくれたりと親しい関係は継続しましたね。
それゆえに、大げさではありますが、私にとって筑女は今でも暖かい「聖母」のスクールイメージの存在なんですね。
なお、美鈴さんは6年後「津田塾大学」に進学されました。
もう一つ、余談ではありますが、筑紫女学園中学卒のとある有名人の思い出です。
昭和40年代の半ば、私の通っていた幼稚園はバレエ芸術学校でもあったのですが、ある時、校長先生(女性)が「うちの学校の卒業生の留美子さんです。今、宝塚音楽学校に通われてるんですよ。将来歌手を目指してるそうです。バレエもとっても上手だったのよ。帰福されたので本校に寄ってくださったそうです。」と、ある女性を紹介されました。
当時は「へぇ~ ベッピンさんやねぇ」くらいにしか思わなかったのですが。。。
数年後、その方は「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」のヒット曲で大スターとなってブラウン管に登場されました。
彼女の名は「小柳ルミ子」さん。
後年、ルミ子さんが「ご対面番組」で校長と涙の抱擁をされてるシーンを目の当たりにして私も目頭が熱くなりました。
話が脱線して大変に恐縮です(笑)。
警固も今風な各種飲食店が立ち並び、けやき通りも近いこともありおしゃれタウンの地位を確立しつつあるようです。
29:33の「公団警固住宅」(現UR警固)のような半世紀前からの建物は例外ですね。
しかしながら、私にとっての警固2丁目とは、筑女にまつわる思い出に尽きるといったところでしょうかね。。。
今回もディープな思い出を想起させていただける動画のUPをありがとうございます。