2023/7/13天神南から中洲へ歩く4k60p virtual Fukuoka walking tour from Tenjin to Nakasu July 2023 #fukuoka #tenjinfukuoka #nakasuFukuoka #福岡 #福岡天神 #福岡中洲 #virtualtour4k #4kvideo #4k60fps 4k video4K60pFukuokafukuoka 4kFukuoka destinationsFukuoka tourfukuoka travelFukuoka tripFukuoka vacationJapanNakasu Fukuoka 4ktenjin fukuoka 4kvirtual tour 4kvirtual tour japan fukuoka tenjin nakasu 4kvirtual walking tour 4kvirtual walking tour Fukuoka中洲福岡福岡福岡天神福岡天神南 2 Comments 黒木正一 2 years ago 22:38から「cross night」なるリニューアルされた「春吉橋」でのイベントですね。 やはり中洲の那珂川には出店が良く似合いますね。かつて(昭和30年代)この春吉橋界隈は南新地が 近いこともあり「色街」のイメージのエリアでした。娼婦のお姉さん達が何人も居並ぶ光景はまさに圧巻だったと は私の父の談です。大人の「ムフフ」な街である中洲の中心にはまず立ち寄ることはなかったのですが、強烈な思い出が一つあります。 35:03の左奥にチラッと見える白い8F建ての「川丈ビル」。74年(昭和49年)同ビル4Fのバー「ドーベル」に常連客だった父と訪れました。子供連れですから開店前の準備中にです。なんと同店オーナーは元西鉄ライオンズの伝説のエースだった「池永正明」氏でした。カウンターでコーラをご馳走になり、父は池永氏と談笑。後になって考えてみれば野球ファンとしてはすごい体験でしたね。同氏は2005年に例の事件による「永久失格処分」が35年ぶりに解除されました。願わくば父の生前にこの朗報が届けられたらと遺憾千万の思いです。同氏も昨年9月、76歳で逝去されました。合掌。43:29の右の「大洋映画劇場」。70年以上の歴史を誇る老舗です。今でも思い出すのが同館で鑑賞した 75年(昭和50年)の超大作「JAWSジョーズ」。入口の看板がすごい迫力でした。予想をはるかに上回る恐怖を味わわされ、一緒に鑑賞したクラスの番長君が吐き気を催してしまいました(笑)。 退館後、近くの那珂川通りに移動して、当時存在していたベンチに腰掛け背中をさすってあげて川に吐瀉させました。難儀でしたがいい思い出です(笑)。当時那珂川通りには今のような柵はなく、さながら駅のホーム状態でした。昭和らしいといえばそれまでですが、酔っ払って転落した方々も多かったのではないでしょうか?昭和30年代、中洲の映画館数は最大81あったのが今や大洋のみの1館だけ。。。 極端すぎる変貌の例で「映画街」の面影は完全消滅しても、「東京・歌舞伎町」「札幌・すすきの」と合わせて日本三大繁華街と称される西日本一の「繁華街」の地位は今も揺るぎないですね。那珂川の川面に映えるネオンの幻想的な美しさが時を経ても不変だと感じられるのが何よりの証左と考えます。今回も長々と大変恐縮です。次回も懐かしさを想起させていただける「今」の配信楽しみにしています。 おまつりJAPAN 2 years ago Great Video. I'm Your Fan.Write A CommentYou must be logged in to post a comment.
黒木正一 2 years ago 22:38から「cross night」なるリニューアルされた「春吉橋」でのイベントですね。 やはり中洲の那珂川には出店が良く似合いますね。かつて(昭和30年代)この春吉橋界隈は南新地が 近いこともあり「色街」のイメージのエリアでした。娼婦のお姉さん達が何人も居並ぶ光景はまさに圧巻だったと は私の父の談です。大人の「ムフフ」な街である中洲の中心にはまず立ち寄ることはなかったのですが、強烈な思い出が一つあります。 35:03の左奥にチラッと見える白い8F建ての「川丈ビル」。74年(昭和49年)同ビル4Fのバー「ドーベル」に常連客だった父と訪れました。子供連れですから開店前の準備中にです。なんと同店オーナーは元西鉄ライオンズの伝説のエースだった「池永正明」氏でした。カウンターでコーラをご馳走になり、父は池永氏と談笑。後になって考えてみれば野球ファンとしてはすごい体験でしたね。同氏は2005年に例の事件による「永久失格処分」が35年ぶりに解除されました。願わくば父の生前にこの朗報が届けられたらと遺憾千万の思いです。同氏も昨年9月、76歳で逝去されました。合掌。43:29の右の「大洋映画劇場」。70年以上の歴史を誇る老舗です。今でも思い出すのが同館で鑑賞した 75年(昭和50年)の超大作「JAWSジョーズ」。入口の看板がすごい迫力でした。予想をはるかに上回る恐怖を味わわされ、一緒に鑑賞したクラスの番長君が吐き気を催してしまいました(笑)。 退館後、近くの那珂川通りに移動して、当時存在していたベンチに腰掛け背中をさすってあげて川に吐瀉させました。難儀でしたがいい思い出です(笑)。当時那珂川通りには今のような柵はなく、さながら駅のホーム状態でした。昭和らしいといえばそれまでですが、酔っ払って転落した方々も多かったのではないでしょうか?昭和30年代、中洲の映画館数は最大81あったのが今や大洋のみの1館だけ。。。 極端すぎる変貌の例で「映画街」の面影は完全消滅しても、「東京・歌舞伎町」「札幌・すすきの」と合わせて日本三大繁華街と称される西日本一の「繁華街」の地位は今も揺るぎないですね。那珂川の川面に映えるネオンの幻想的な美しさが時を経ても不変だと感じられるのが何よりの証左と考えます。今回も長々と大変恐縮です。次回も懐かしさを想起させていただける「今」の配信楽しみにしています。
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22:38から「cross night」なるリニューアルされた「春吉橋」でのイベントですね。
やはり中洲の那珂川には出店が良く似合いますね。かつて(昭和30年代)この春吉橋界隈は南新地が
近いこともあり「色街」のイメージのエリアでした。娼婦のお姉さん達が何人も居並ぶ光景はまさに圧巻だったと
は私の父の談です。
大人の「ムフフ」な街である中洲の中心にはまず立ち寄ることはなかったのですが、強烈な思い出が一つあります。
35:03の左奥にチラッと見える白い8F建ての「川丈ビル」。74年(昭和49年)同ビル4Fのバー「ドーベル」に常連客だった父と訪れました。
子供連れですから開店前の準備中にです。なんと同店オーナーは元西鉄ライオンズの伝説のエースだった「池永正明」氏でした。
カウンターでコーラをご馳走になり、父は池永氏と談笑。後になって考えてみれば野球ファンとしてはすごい体験でしたね。
同氏は2005年に例の事件による「永久失格処分」が35年ぶりに解除されました。
願わくば父の生前にこの朗報が届けられたらと遺憾千万の思いです。同氏も昨年9月、76歳で逝去されました。合掌。
43:29の右の「大洋映画劇場」。70年以上の歴史を誇る老舗です。今でも思い出すのが同館で鑑賞した
75年(昭和50年)の超大作「JAWSジョーズ」。入口の看板がすごい迫力でした。予想をはるかに上回る恐怖を味わわされ、
一緒に鑑賞したクラスの番長君が吐き気を催してしまいました(笑)。
退館後、近くの那珂川通りに移動して、当時存在していたベンチに腰掛け背中をさすってあげて川に吐瀉させました。
難儀でしたがいい思い出です(笑)。当時那珂川通りには今のような柵はなく、さながら駅のホーム状態でした。昭和らしいといえばそれまでですが、酔っ払って転落した方々も多かったのではないでしょうか?
昭和30年代、中洲の映画館数は最大81あったのが今や大洋のみの1館だけ。。。
極端すぎる変貌の例で「映画街」の面影は完全消滅しても、「東京・歌舞伎町」「札幌・すすきの」と合わせて日本三大繁華街と称される西日本一の「繁華街」の地位は今も揺るぎないですね。
那珂川の川面に映えるネオンの幻想的な美しさが時を経ても不変だと感じられるのが何よりの証左と考えます。
今回も長々と大変恐縮です。次回も懐かしさを想起させていただける「今」の配信楽しみにしています。
Great Video.
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