▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:41久能海岸、参道
1:32 久能梅林
2:01 表参道石段
3:03 久能城跡、勘介井戸
3:31 楼門周辺
4:42 末社・厳島社、稲荷社
5:06 青銅鳥居、鼓楼周辺
5:41 神楽殿、神庫周辺
6:22 摂社・日枝神社
6:51 唐門周辺
7:40 国宝・本殿
8:56 廟門
9:18 廟所参道
9:46 神廟周辺

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は神君・徳川家康公の埋葬地に鎮座する静岡県の久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)を紹介します。

静岡駅から約10㎞離れた場所にある標高216mの久能山の頂上に鎮座する久能山東照宮。久能山は推古天皇の時代、久能忠人によって開かれ、補陀落山久能寺が建立されたことに始まる山です。奈良時代には行基(ぎょうぎ)、鎌倉時代には静岡茶の始祖といわれる円爾(えんに)など多くの名僧が往来し、隆盛を極めました。1568年、駿河国(現在の静岡県)へ進出した武田信玄は久能山を要害の地とみなし、久能寺を移築して、その跡地に久能城を築城。ですが、武田家が滅亡すると久能城は徳川領となります。

江戸幕府を開き、天下泰平の礎を築いた徳川初代将軍・徳川家康公は1616年1月に病に倒れ、4月17日に薨去するまで自分の死後について種々の遺言を残します。家康公は「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と考え、自らの亡骸は神式によって久能山に納めること、神像は西向きにすることなど、死後の祭祀方針まで自ら定めます。

家康公が亡くなると、2代将軍徳川秀忠公は家康公の遺命に基づき、直ちにその亡骸を久能山に埋葬。さらに久能山に家康公を祀る神社を造営することを発令します。これによって創建されたのが全国に数ある東照宮の中で最初に創建されることになる久能山東照宮です。同社の最も奥には家康公が埋葬された神廟(墓)も存在しています。

家康公の遺命には「日光山へ小堂を造営して、祭典すべし」とあり、のちに日光山へ家康公の分霊が勧請されることになります。それによって創建されたのが世界文化遺産にも指定されている有名な日光東照宮です。

日光東照宮にも家康公の神廟(墓)がありますが、①家康公の亡骸が久能山から日光へ改葬されたのか、②亡骸の一部が日光に移されたか、③日光には亡骸が移されず、久能山にそのまま埋葬されているか、議論は尽きません。この議論は久能山、日光どちらの神廟も発掘調査がされていないために起こるもので、現在でも真相は分かっていません。ただ最初に家康公が埋葬されたのは久能山だという事実は変わりないのです。

さて、そんな久能山東照宮の参拝は一之鳥居を越えて標高216mの久能山の頂上まで石段を昇ることから始まります。現在では日本平からロープウェイを使って参拝することも可能ですが、同社の魅力を味わうにはこの石段を昇ることが必要不可欠。

石段は1159段もある九十九折のもので、「いちいちごくろう(=1159)さん」という語呂合わせも存在しているんだとか。心の中で「大きなお世話だよ!(# ゚Д゚)」と思っているのは僕だけではないと思いますが(笑)

階段を昇りきり、駿河湾の絶景を拝みながら更に進むと、久能山にかつて城があったことを示す石垣が目に飛び込んできます。そして豪華絢爛な楼門を越えると正面に鳥居が建ち、奥に唐灯籠。そのさらに奥の石段上に極彩色の唐門があります。

垣を入ると煌びやかな拝殿・本殿が姿を現します。無数の彫刻と絵画で装飾された極彩色の華麗な社殿は、当時天才と謳われた大工棟梁・中井正清が手掛けたもので現在では国宝に指定。

家康公の御威光を示すかのように、当時最高の建築技術と芸術の粋が結集されたもので、後に日光東照宮をはじめとする全国の東照宮建築の雛形となりました。社殿に施された極彩色の彫刻には、家康公のメッセージが込められており、長い時間かけてじっくり見ても飽きることのない魅力を現代のわれわれに見せてくれるものです。

日光東照宮に参拝したことがある方なら絶対に一度は参拝した方がよいと断言できる同社の様子を是非ご視聴ください。

The Kunōzan Tōshō-gū is a Shintō shrine in Suruga-ku in the city of Shizuoka in Shizuoka Prefecture, Japan.

It is the original burial place of the first shōgun of the Tokugawa shogunate, Tokugawa Ieyasu, and is thus the oldest of the Tōshō-gū shrines in the country.

Mount Kunō (216 meters) is a steep peak on Suruga Bay, and the site of an ancient Buddhist temple called Kunō-ji dating to at least the early Nara period. The temple prospered during the Kamakura period under the famous prelate Enni, who introduced the cultivation of green tea to the region. After the conquest of Suruga Province by the warlord Takeda Shingen, the temple was relocated to what is now Shimizu-ku, and the mountain top fortified into a mountain castle (Kunō castle). After the fall of the Takeda clan, Suruga Province came under the control of the Tokugawa clan.

After Tokugawa Ieyasu retired to Sunpu Castle, he continued to maintain the fortifications on Mount Kunō. After his death, Tokugawa Hidetada ordered that he be buried on its peak, and had the first shrine buildings erected. The 3rd shōgun, Tokugawa Iemitsu, relocated Ieyasu’s grave to the Nikkō Tōshō-gū, but a portion of his deified spirit was held to still reside on Mount Kunō. The shrine was kept in good repair by the Sunpu jōdai until the Meiji Restoration.

With the overthrow of the Tokugawa by the new Meiji government, and the subsequent separation of Buddhism and Shintō, the Kunōzan Tōshō-gū suffered the loss of a number of its structures and much of its revenue. At the present, most of the surviving buildings of the Kunōzan Tōshō-gū are protected by the national government as Important Cultural Properties and the whole mountain is protected as a National Historic Site.

4 Comments

  1. 名古屋遠征の時行こうか行くまいか迷って、結局行きませんでした。ここも花が奇麗ですね。梅と桜どちらも良いですね。恒例の櫻木神社行きました。1週間前で満開とは行きませんでしたが。充分奇麗でした。

  2. 素晴らしい映像は10分とは思えない30分位の大作を見ているように感じます👍
    久能山東照宮の美しさと厳格な雰囲気が伝わって来ます。
    ロープウェイ営業前の早朝3回の撮影とのことで流石の内容に納得です。
    とても素晴らしく有料級の作品です。

  3. 梅と桜が美しいですね!
    また家康の遺言により日光東照宮より19年も前に豪華絢爛な神社や神郎が作られているなんて驚きです。
    家康公の生涯や江戸時代初期の文化を色鮮やかな総漆塗り社殿の壮麗な建築を通して垣間見ることができればと・・
    ヒロリンさんの解説をもとに、元服式を行った社静岡浅間神社の動画と再度見比べながら歴史に疎い私なりに見てしまいました。
    逆さ葵の紋は8:13あたりだったりします?ロープウェイを使わずに上ったヒロリンさんはあっぱれです。
    私たちだったら迷わず使用しちゃいます(笑) いつか行ってみたいです。。

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