※静岡浅間神社は現在「平成令和の大改修」工事を行っております。今回撮影した動画は2021年当時の映像ですので現在の姿とは一部異なる部分があることをご了承下さい。
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:43 石鳥居、楼門
2:12 舞殿、手水舎
2:37 神部神社・浅間神社 拝殿、本殿
3:47 末社・少彦名神社
3:57 末社・玉鉾神社
4:12 末社・八千戈神社
4:29 別宮・麓山神社
5:02 大歳御祖神社
どうも、管理人のヒロリンです。
今回は静岡県静岡市に鎮座する静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)を紹介します。
静岡市の中心部にある駿府城跡。徳川家康が一時期居城していたこの城の近くにある賤機山(しずはたやま)と呼ばれる山の麓に鎮座するのが静岡浅間神社。賤機山は後に「賤ヶ丘(しずがおか)」と呼ばれ、「静岡」の県名の由来になった山。古代より神聖な神奈備山として崇められていた山であったことから、静岡の地のなかでも殊更重要視されてきた地としても有名です。つまり、同社は静岡という県名の由来になった山の麓に鎮座する凄い神社なんです。
同社の境内には神部神社、浅間神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社が祀られ、静岡浅間神社という社名は三社の総称となっています。
同社を構成する三社はそれぞれ造られた年代が異なり、最も古い歴史を持つのが神部神社。約2,100年前に造営された、大己貴命 (おおなむちのみこと)を祀る社。平安時代には駿河国(現・静岡県)の総社になりました。
大歳御祖神社は2番目に歴史が古く、約1,700年前に造営されたと伝えられています。かつては奈古屋神社といい、静岡市の地主神です。
浅間神社は901年に後醍醐天皇の直接の命令により、富士山本宮から分祀されて神部神社のすぐ隣に祀られます。以来、富士山新宮として土地の人々の信仰を集めました。
神部神社と浅間神社は共通の拝殿が一つ、その奥にある本殿は一つずつの社殿を有する「一拝殿二本殿」の形式。大歳御祖神社は一つの拝殿と一つの本殿という形式。
三つの神社は明治時代まで、それぞれ別の家によって祭祀が行われていたと伝えられています。それとは別に、神社は造営されてから明治まで朝廷やこの地を治めた武将たちによって庇護を受けてきました。
今年(2023年)の大河ドラマの主人公である徳川家康は今川家の人質であった14歳の時に、今川義元公が烏帽子親となって当社で元服式を行いました(今川家は、当社を氏神として庇護しました)。
その後、家康公は1582年に武田氏を攻略する際、勝利をしたら必ず壮麗な社殿を再建するという誓いを立て、神社の社殿を焼き払ってしまいます。その後、天下を統一した徳川家康は約束どおりに壮麗な社殿を再建。その後、社殿は2度にわたり火事で焼失しますが、その度に江戸幕府によって再建されました。現在見られる豪華絢爛な社殿群は60年の歳月と10万両以上の巨費を投じ、1864年頃に再建されたものです。江戸時代の間、神社は徳川家の祈願所として大いに栄えました。
江戸幕府の庇護のもと発展した同社の社殿は日光東照宮をも彷彿とさせる、漆塗極彩色が施された花鳥霊獣類の精緻な彫刻が煌びやかさを誇り、その壮麗な姿から「東海の日光東照宮」とも呼ばれています。重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る圧巻のものです。静岡市の中心部にこれほど豪華な神社があるとは驚きですよね。
明治時代になると別々の家で管理されていた三つの神社は、一つの神社となります。その後神仏分離令によって仏教的な物が境内から取り払われますが、神社が寂れたり荒廃したりすることはありませんでした。現在まで「おせんげんさま」の愛称で親しまれ、多くの方の信仰を集めています。
同社は現在、「平成令和の大改修工事」を行っており、神部神社、浅間神社部分の拝殿はもうすぐ修復工事に突入してしまいます。壮麗な社殿を見るのは今しかなく、工事が始まってしまうとしばらく見れなくなるため、この動画で興味を持たれたかたはすぐに参拝することをお勧めします。
Shizuoka Sengen Shrine is the name for a collective group of three Shinto shrines now forming a single religious corporation, located at Mount Shizuhata in Aoi-ku, Shizuoka, in Shizuoka Prefecture, Japan. These shrines are the Kanbe Jinja, Sengen Jinja, and Ōtoshimioya Jinja.
The primary kami of Kambe Jinja is the Ohnamuchi-no-Mikoto, who is regarded as the mythical founding deity of Suruga Province.
The primary kami of Sengen Jinja is the Konohanasakuya-hime, the deity of Mount Fuji.
The primary kami of Ohtoshimioya Shrine is the Ohtoshimioya-no-Mikoto, who appears in the Kojiki as a daughter of Susano-o, and a kami protecting markets and commerce.
The date of the Shizuoka Sengen Jinja’s foundation is unknown. The area has been inhabited since prehistoric times, and a Kofun period burial mound has been excavated at Mount Shizuhata. Per the Nihon Shoki, the area was colonized by the Hata clan during this period. According to unsubstantiated shrine legend, the foundation of the Kanbe Jinja dates to the reign of Emperor Sujin, that of the Ōtoshimioya Shrine to the reign of Emperor Ōjin, both from the Kofun period.
Per the Engishiki records, Kanbe Jinja was given national recognition and status of the Sōja of Suruga Province in the Heian period. Also, the date of 901 is given for the foundation of the Sengen Jinja, as a subsidiary branch of the Fujisan Hongū Sengen Taisha, and initially was referred to as the “Shingu” (new shrine).
Through the Kamakura and Muromachi periods, the shrines enjoyed the patronage of the powerful warrior clans who dominated the Suruga area: the Minamoto clan, Hōjō clan, Imagawa clan, Takeda clan and the Tokugawa clan. In particular, the first Tokugawa shōgun, Tokugawa Ieyasu, sponsored the rebuilding of the shrines after his retirement to nearby Sumpu Castle, and subsequent shōguns continued to worship at the shrines throughout the Edo period. The 3rd shōgun, Tokugawa Iemitsu, granted the shrines lands with 2313 koku in revenue for their upkeep. However, the shrine complex burned down in a fire of 1804. It was rebuilt over a 60-year period at a cost of over 100,000 gold ryō by the Tokugawa shogunate in its flamboyant Momoyama style, with extensive use of lacquer, wood carvings, and gold leaf. Today, 26 structures in the shrine complex are protected by the national government as Important Cultural Properties, forming one of the largest such complexes in the country.
In the modern system of ranked Shinto Shrines, Shizuoka Sengen was listed among the 3rd class of nationally significant shrines or Kokuhei Shōsha.
5 Comments
社殿の立派さ画面からでも伝わります。知っていたら愛知の帰りにでも行きたかったです。数年後改修が終わったころ行きたいですね。
たまに、行くつもりがなくて、たまたま通りかかってお詣りする神社があるのですが、まさにこちらの静岡浅間神社さまがそうでした。こうゆう事が神様に呼ばれるということなのでしょうか?もう5年も前の話ですが。
手の込んだ装飾は神社とは思えない豪華さで、華やかな色彩にも驚きました。
とても綺麗な画像ですね。
余計なものを入れない!モザイク等しないワンカットさんの動画を視聴していると何か自分がそこに居るみたいです。人気のない神社わかります。自分も神社に上がるときは、朝早く6時7時頃に行きます。ゆっくり参拝でき写真撮影も出来ますね。
人がいるといなくなるまで待ち写真を撮ります。時間が掛りますね!
これからも宜しくお願いします⛩️🙏
こんなに豪華絢爛な神社なのに、存在すら知りませんでした。
家康はどんな気持ちで元服式をしたのでしょうね。
静かな空気の中で豪華絢爛な境内をゆっくりとすごし神様と対話したくなりました。