平成24年(2012年)9月に和歌山県護国神社を参拝した。護国神社というと基本的に都道府県に1つはあり、県庁所在都市のお城の隣にある事が多い。そして、護国神社には先の大戦で亡くなられた方々の慰霊碑等がある。先の大戦では、隊は基本的に同郷出身者で固められていた。
護国神社は、おおむね各府県につき一社が建立された。社格は、府県社に相当する内務大臣指定護国神社(指定護国神社)と、村社に相当する指定外護国神社とに分けられた。1945年(昭和20年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされ、存続を図るために、名称から「護国神社」の文字を外すなど改称を余儀なくされた。改称された神社は、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が国家主権を回復すると、元の社名に戻された。戦後、いくつかの指定護国神社は神社本庁の別表神社となっている。
指定護国神社は、北海道に3社、岐阜県・兵庫県・島根県・広島県には2社など、一県内に複数存在することもある。これは、各種部隊(とりわけ歩兵連隊)の編成に際して、府県の他に国(令制国)を単位とするケースが多かったことや連隊の増加によって、県内に複数の連隊が所在して各々の地元意識が強かったり、単に県域が広かったりすることに起因する。例えば広島県の場合、福山市(備後国、歩兵第41連隊)と広島市(安芸国、歩兵第11連隊)にそれぞれ一社ずつ存在する。なお、全国の英霊を祀る靖国神社のある東京都[4]および神奈川県には、現在のところ護国神社はない。
各護国神社の祭神は、靖国神社の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。そのため、公式には護国神社は「靖国神社とは本社分社の関係にはない」とされている。しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社とは深い関わりがあり、各種の交流もある。主要な護国神社52社で組織する全國護國神社會(旧・浦安会)は靖国神社と連携し、英霊顕彰のための様々な活動を行っている。
1960年(昭和35年)に全国の護国神社52社に対して昭和天皇・香淳皇后より幣帛が賜与されて以降、1945年(昭和20年)から数えて10年ごとに幣帛の賜与が続けられている。
護国神社は、建立以来、主として戦没者の遺族会や戦友会が運営的・財政的に支えてきた。しかし、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化とともに、その数は減りつつある。そのため、財政的危機に見舞われる護国神社が増えると見られている。
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