▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:41 社号碑、あやめ苑
3:01 末社・殺生石稲荷神社
3:15 鳥居・参道
3:35 末社・菅原神社
3:55 随神門・手水舎
4:58 社務所周辺
5:11 社殿周辺
5:36 末社・白山神社周辺
5:54 末社・道主命神社周辺
6:49 末社・会津大国魂神社周辺
どうも、管理人のヒロリンです。
今回は福島県会津地方の総鎮守として、会津美里町に鎮座する伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)を紹介します。
会津を代表する城:鶴ヶ城がある会津若松市の隣に位置する会津美里町。「美里」という町名の通り、この町に鎮座する伊佐須美神社は春から夏にかけて実に美しい光景を見せてくれます。
会津美里町には町歌というものがあり、その歌詞の中では
「みどり照り返す朝日に目を覚まして、神の杜に住む生命が動き出す(中略)あやめの咲く美しき里、笑顔あふれる夢が住む町」
とあります。ここでの『神の社』とは伊佐須美神社のこと、そして『あやめの咲く美しき里』とはこの神社のあやめ苑(神社外苑)に植えられている150種、10万株ものあやめのことを指しているのです。
(参考までに会津美里町の町歌のリンクはこちら:かなりいい歌です(*’ω’*))
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伊佐須美神社のあやめ苑は東北随一ともいわれ、満開の頃ともなると同社のあやめ苑は白、水色、黄色、紫といった色とりどりの花で埋め尽くされます。この桃源郷のような景色の中に立ちながら、油絵の中に入ったかのような贅沢と快感を味わい尽くすことが出来るのです。
あやめの見ごろはわずか。したがって、僕自身も3年連続でトライして今年ようやく撮影に成功したぐらいでした。満開のあやめが庭園を埋め尽くす光景は想像以上で、感動であふれ出そうな涙を堪えながら撮影したのを覚えています。
さて、そんな美しいあやめが咲き誇る伊佐須美神社は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、そして第10代崇神天皇のときに地方を平定するために派遣された四道将軍の大毘古命(おおひこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の4柱の神様を祀っています。
4柱の神様のうち、北陸道を進んでいた大毘古命、東海道を進んでいた建沼河別命はこの地で行き会い、農耕技術や先進文化を伝えたのち、国家鎮護のために福島県と新潟県境付近の御神楽岳に国家開拓の祖神である伊弉諾尊・伊弉冉尊を奉斎したのが伊佐須美神社の創祀となっています。
二柱の四道将軍が行き会ったというエピソードから、伊佐須美神社がある周辺の場所は「会津」という地名になり、その地名が今日でも用いられています。つまり、伊佐須美神社は「会津」という地名のもとになった神社でもあり、「会津総鎮守」の非常に格式高い神社として篤く崇敬されているのです。会津蘆名家や会津藩祖保科正之公をはじめ御歴代藩侯は殊の外篤い信仰を寄せ、社殿の修改築や社領、宝物等数々の寄進が多くなされました。
そんな格式高い伊佐須美神社ですが、かなりの頻度で社殿の焼失と再建を繰り返していることでも知られており、文献で知られているだけでも火災は7回発生しています。直近では2008年に火災が発生しており、拝殿・本殿が焼失。現在でも社殿の本格的な再建はなされておらず「仮殿」として小さな社殿が建っているにとどまっています。楼門はこの時の火災は免れ現存していますが、やはり本殿がないのは寂しい・・・しかし、鬱蒼とした杜が息づく同社の神域はその寂しさを吹き飛ばすだけの神気に満ち溢れており、一生に一度は参拝する価値がある神社だと思います。
春から秋にかけての美しいあやめと同社の神域を撮影した今回の動画。是非ご視聴ください。
Isasumi Shrine is a shrine in Aizumisato, Fukushima, Japan. Isasumi was designated as the chief Shinto shrine (ichinomiya) for the former Iwashiro province.
From 1871 through 1946, Isasumi was officially designated one of the Kokuhei Chūsha, meaning that it stood in the mid-range of ranked, nationally significant shrines.
Isasumi Shrine’s history is thought to be connected to how the Aizu region got its name – a story that has been recorded in two of Japan’s most legendary books of folklore. According to the tale, around 2000 years ago, four shogun were entrusted with uniting the four areas of land which would become Japan. Two of these shogun happened to be father and son. One was sent to the north-east, and the other to the north-west.
When the father and son had completed their work uniting the towns in their respective areas, they met in the middle. They named the area “Aizu” (会津), which can be translated as “The riverbank (津) where we met (会)”. The father and son travelled to Mt. Mikagura-dake, a mountain that borders Niigata Prefecture and Aizu, and prayed to the shinto god of pioneering new lands to protect Aizu, and the rest of Japan. Isasumi Shrine is thought to be built where they met.
3 Comments
あやめが本当に綺麗ですね~随神門も見惚れてしまいました。何と言っても伊佐須美神社は神職様の独特な文字の御朱印が有名なんですよね。ほんと行ってみたい神社ばっかり有って海外なんて行きたいとかおもえないんですよね。
千葉TVのごりやくさんという番組に伊佐須美神社のCMが流れていたので、行ってきました。夏のかなり暑い時で神社の白猫ばて切っていました。かなり遠いですが行った価値有りましたよ。
こんばんは。今年一年も様々な映像を拝見させていただきました。ジワーッと撮影される映像が本当に素晴らしく、圧巻の一言です。
チャンネル登録者数3000人おめでとうございます🎊私も近づける様に日々勉強していきたいと思います。