前回の動画はこちら:https://youtu.be/CdfdrUMtUdw
今回は前回に引き続き静岡編の第二弾となります。
遂に京丸集落へと至るのですが、前回の石切よりもさらに山奥にありまさに秘境の名にふさわしい隠里でした。
これほどまでに秘境に存在するにも関わらず、集落は驚くほど綺麗に保たれており、恐らく未だに関係者が管理されているのだろうと思います。
しかし、何百年にも渡って一族で守り続けてきた土地が徐々に終焉に向かっていくのを、当主の方はどんな思いで見届けていただのでしょうか。
そんなことを思いながら往年の集落の姿に想いを馳せるのでした。
そして京丸牡丹の伝説。
どこから発祥したものかは一切不明なのですが、この小さな集落の伝承が現代でも脈々と語り継がれているのは驚きです。
まだまだこの国には我々の知らないことが多いですね。
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◎お勧め動画はこちら
【廃村探訪】元盛松集落 – 100年前に無人と化した海の見える廃村
【廃村探訪】大河原集落 – 集落最後の住人との出会い
【廃村探訪】越波集落 – 1000年を超える歴史を誇る岐阜の秘境
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チャプター
0:00 京丸牡丹の伝承を追う
1:03 石切の住人の京丸について伺う
5:03 いざ、京丸へ
5:40 京丸牡丹の伝説
7:50 集落へ向けて出発
11:37 雲行きが怪しくなってくる
13:40 遂に集落発見か・・・?
15:51 京丸牡丹について
18:00 集落を探索していく
20:15 京丸集落について
22:46 さらに集落を探索する
24:01 京丸集落の由来について
26:54 気になるところを見ていく
29:40 長い旅の終わり
#廃村探訪 #廃村 #廃墟 #限界集落
#abandoned #japan_ruins
22 Comments
伝承にある里人以外との婚姻を禁じる掟というのも、里の藤原の血を薄めないためだったり外から来た人が里の事を知って故郷に戻ったりすることで秘密が漏れることを防ぐためだったりという何らかの理由があるはずなので、なにか訳ありだったのは事実だったように思いますね。
今回もボリュームある見ごたえ十分な動画でした。次も楽しみにしております!
左衛門佐は、「さえもんざ」ではなく、「さえもんのすけ」と読むのが正しいのでは?
配信お疲れ様です。
京丸は三軒からなる集落だったのですね。たった三軒でも存在感のある本屋。伝説の南朝方の藤原氏の末裔というのも頷けるような集落の佇まい。京丸牡丹にまつわる村の掟も後醍醐天皇を守ってきたという一族の結束や誇りが感じられます。
京丸集落を訪ねるのに進んだ道は登山道ぽかったですね。多分最初の道をずっと行っても京丸には着けたかも、かな。苦行好きな(❓)アンドウさんの趣味全開。わざわざ険しい道を行く、お2人の珍道中も楽しみですが😅
いつか幻の京丸牡丹が見られるといいですね。
これからもご安全に。
追伸:一軒の家は母家と離れ風の建て物でワンセットで、多分お風呂やトイレが離れというか別棟になってるかな。田舎だとお風呂から火事になるのを恐れたり、水回りの湿気が母家の木を腐らせるのを疎んで、別棟にすることが多いです。あと単純に外の作業からすぐトイレやお風呂に行けるというのも利点です。
米を作っていたウチの水回りも(40年くらい前に建てた)鉄筋の別棟です😅
こんなロマンなる石切に住んでいた事があるなんて・・・と、今更ながらこの動画を拝しとてちょっと不思議な感覚です。3年前に母から京丸牡丹伝説、藤原家にまつわる話を聞いた事があり、藤原家はおろか、京丸の地にも訪れなかった事を今になって後悔してます。近くにいるといつでも行けるからと結局行かずじまいで、近くにある宝に目を向けなかったなんて・・・。
両親とも元気だった頃は石切で民宿を営んでおり、京丸へいらっしゃるお客様が少なからずおりました。あの頃が懐かしく思います。
貴重な映像、ありがとうございました。
京丸牡丹の伝説は1974年頃、テレビのドキュメント番組で視て記憶の隅に残ってました、魅力的な番組構成で絵巻物に描かれた巨大な牡丹と幻想的な土地柄だったのを子供ながらに覚えてましたが、この動画でふたたび京丸牡丹の名前が聞けて何だかビックリです、ありがとうございました。
左衛門佐は「さえもんのすけ」じゃないですかね。
感動しました
京丸牡丹はしってましたが
あんな隠れ里に在るとはびっくりです
出掛ける前の取材も良かったです
私の住む長崎県は本土が小さいので廃村は余り無いです
が、離島が成りしろ多いので
かくれキリシタンと結び付いた悲しい歴史に埋もれた無人島なら沢山在ります
しかし世界遺産との関係もあるので上陸出来るかは知れません
是非長崎の隠れキリシタンの取材にもお越し下さい
高速を使うと時間は掛かりません
夜のフェリーとか使うと格安に寝て来ることも出来るでしょう
貴方が苦労して映像に納めた廃村が平気で心霊スポットに
されている事に怒って居ます
廃村にも長い歴史があり人々の暮しが有ったはずと思うと
尚更です
怪我とヤマヒルに気を付けて
映像化
頑張って下さい
喧嘩しないでネ!
historicaチャンネルすきで、いろんな思いを巡らせながら
毎回感心してみております。ご探訪お疲れ様です!
この伝説はそんなに古くないんじゃないかな? 人里離れた集落では、近親婚ばかりでは血が濃くなるからと言って、旅人を歓迎する習わしなのが実際は普通でしょ。
ナレーションの女性の声に癒やされています。何かのソフトですか?
京丸牡丹……あと60年近く待たないと見れないかぁ
山間の僻地の耕作地の概念がズレております。そもそも広い耕作地を求めるなら山裾まで下らないといけません。この辺りのような地形の場合は、畳一枚、二枚ほどの平地があればそこを耕作地とし、大人数の家族の口を養うのであれば、その畳二枚ほどの耕作地を数十箇所持っていたことになります。耕作地には順路が有り、メンテ漏れすることはありません。後年、登山者が入るようになったりすると、それら耕作地には、総てたどり着けないようなトラップがしかけられます。中には谷に落ちるとか遭難するとかなどの危険なトラップも存在します。
京丸の鰻、美味しい❣️
言い伝え,とか、を、解説、記して、くれたのは、とても、いいです、
京丸牡丹の付近はヒルがすごいと聞いたけど、この辺はまだ大丈夫みたいですね。京丸牡丹はホオノキの花びら(結構大きい)が川の上流から流れ着き、ホオノキを知らない人が巨大な牡丹を想像した、とも言われていますね。
久しぶりに拝見させていただきました、なんせいい歳して貧乏暇なしなもので、相変わらずお二人のお話の掛け合いに心が和みます。順番通りに見ることができずもうし訳ない、この歳になっても知らないことばかりで、ほんとうにありがとうございます、これからもとにかく道程には注意しながら、この愚かものにいろんな知識を与えてください。ほんとうにありがとう、感謝。
1首…
昔日の営み偲ぶ家(や)並みかな
伝えに聞こゆ牡丹、咲くや
「丸」がつくのは鰐氏ではないでしょうか?
鰐=亀=蛇=龍=海神ではないでしょうか?
補陀落渡海とかと同様に、逃れてきた方がひっそり暮らしたのでは?
だから、外部との結婚により逃れた一族の存在の情報が拡がるのを恐れたのではないでしょうか?
小俣集落の探訪も見てみたいです!
京丸牡丹の悲しいお話 40年位前に静岡のローカルラジオ局で聞きました。
浜松生まれの私には現地の風景が寂しく感じました。
遠州はかなりの不思議な伝説、行事があります。
桜が池のお櫃納めは見てきましたが、不思議な感じでした。
遠州の七不思議 シリーズ化リクエストします。
北海道在住
アスファルト舗装されているから、廃村になる前は車で行けてたのかもね。
ピンク字の女性の声聞いてると室井佑月を思い出す。