▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、祝木のケヤキ
0:48 中山鳥居、参道
1:16 神門、狛猿像
2:02 中門、拝殿、本殿
3:06 摂末社、神厩舎
3:34 末社・猿神社
どうも、管理人のヒロリンです。
今回は岡山県津山市に鎮座する中山神社(なかやまじんじゃ)を紹介します。
中国山地が瀬戸内海に落ち込んでいく過程の岡山県東北部の山地側に位置する旧美作国(みまさかのくに)。その中心地である現在の津山市に、美作国の一宮神社として鎮座しているのが中山神社です。
美作国は旧律令国の中では比較的新しくできた国で、かつては吉備国という巨大な国の一地方でした。吉備国は瀬戸内海の交通の要所に位置し、優れた製鉄技術があったことから、大和、筑紫、出雲と並ぶ古代日本の四大王国の一角を占めていました。しかし、その大きな勢力ゆえに大和朝廷から目をつけられ、吉備国は689年に備前国、備中国、備後国に3分割されます。更に、713年に備前国から分割される形で誕生したのが美作国です。
美作国の領内には畿内から出雲へと通じる交通の要所があり、更には豊富な砂鉄が採れる鉄産地でもあったことから備前国を弱体化させるために備前国から美作国を分割させたのです。それほど大和朝廷は吉備の地方を脅威に感じていたことが分かります。
美作という地名の語源は、「水が豊富にあって栄えている国」、「河と坂が多い国」、「甘酒(みまさか)の産地」など様々な説がありますが、現在でも正確な語源はわかっていません。
そんな美作国一宮として鎮座する中山神社の御祭神は鏡作神(かがみつくりのかみ)。この神様は中山神社でしか祀られていない独特の神様で、どんな神様かは詳しく分かっていません。一説には、日本神話で天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸に隠れてこの世から日の光がなくなってしまった(現代の言葉で表すと日食現象で日の光がなくなった)ときに三種の神器の一つである八咫鏡を作った神様の一人ともされています。
美作国は砂鉄が多く採れる場所であったことから、鏡作神は製鉄産業(たたら)の守護神として祀られ、鉱業、天然資源の神様という珍しい御利益を持っています。
かつては鬱蒼とした鎮守の杜に囲まれた典型的な古社でしたが、2004年の台風の直撃を受けた際に参道および本殿脇の丘にあった樹木のほとんどがなぎ倒され、現在では広場のように明るい雰囲気の社となってしまいました。
2004年の台風の際には倒れた木が風を遮り、本殿は一部が破損した程度で大きな被害が起きなかったということもあり、中山神社の神威がより大きく示された出来事として現在でも語り継がれています。
そんな中山神社の社殿と鳥居は全国的にみても独特の形をしています。
まず、鳥居は「中山鳥居」と呼ばれ、貫ぬき(鳥居の上から二つ目の横向きの柱のこと)が縦の柱を飛び出していない特徴を有しています。さらに、本殿は「中山造」と呼ばれる建築様式で、屋根の部分は出雲大社の「出雲造」と同等の形をしていますが、妻側(社殿正面側)に向拝を設けて唐破風を付けた構造をしているのが特徴。
社殿の大部分は大社造の特徴を有しているため、この地域には出雲の文化が色濃く伝わっていることが分かります。しかし、同時に大和文化の影響も受けていたことから、社殿の妻側には大和文化を象徴する様式を取り入れたのではないかと。つまり、中山神社の社殿は出雲地方と大和地方の文化のハイブリッドによって誕生した非常に独特の造りをしています。旧美作国の神社にはこのような「中山造」の社殿がいくつか見られますが、中山神社の社殿はこれら「中山造」の社殿の中でもひときわ大きいのが特徴となっています。
中山神社の本殿の裏手の岩肌には「猿神社」という末社が鎮座しており、中山神社に参拝に来た際にはここに行くこともお勧めします。中山神社では猿が大切な位置を占めており、神門の門前を守る二匹の狛犬の代わりに「狛猿」の像があるぐらいなのです。今昔物語の二十六巻に登場する猿を祀っているともされる猿神社は牛馬の安産守護に良いとされていて、今でも赤い布で作られた小さな猿の人形がたくさん奉納されています。現在になってもこれだけの猿の人形が奉納されているのは圧巻の一言です。
Nakayama Shrine is a Shinto shrine in the Ichinomiya neighborhood of the city of Tsuyama in Okayama Prefecture, Japan.
It is the ichinomiya of former Mimasaka Province.
Although the kanji of the shrine’s name is now pronounced “Nakayama”, in the past the shrine was often referred to by its alternative pronunciation “Chuzen Jinja” or “Chuzen Dai-Gongen”.
The origins of Nakayama shrine are uncertain. According to the shrine’s undocumented legend, it was founded in 707 AD. There is another theory that the shrine was built when Mimasaka Province separated from Bizen Province in 703. The earliest time the shrine appears in documentary evidence is in an entry dated 860 in the Nihon Sandai Jitsuroku. Per the Engishiki, which was complied between 905 and 967 AD, the shrine is listed as the only Myōjin taisha in Mimasaka Province, and by the Kamakura period, it was regarded as the ichinomiya of the province. During the Sengoku period, in 1533, the shrine was burned down by Amago Haruhisa during his invasion of the province, and reconstructed by Haruhisa himself in 1559. After the Meiji Restoration, it was designated as a National Shrine, 2nd rank in 1871.