Buramanbo Matsumoto Part 2(Nagano Prefecture) /West entertainment district and suburban Yukaku townscape

北アルプスを背景に国宝松本城を中心に据えている松本の街は、私が一番好きな街で、全国で最も訪れている地方都市です。ところが、まだ動画で撮影していないことに気づき、今回歩くことにしました。Webサイト版の「集落町並みWalker」の印象記で、2004年2月にじっくり歩いていましたので、その時と同じルートで18年の変化をレポートします。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/01top-page/sintyaku-page/insyo-matsumoto.htm

松本大手
大手は松本城と女鳥羽川の間のエリアで、南北に走る大名通り(旧善光寺街道)で東西に分かれる。松本城に突き当たる大名通りは業務ビルが建ち並ぶメインストリートで、その背後に繁華街・歓楽街が広がっている。
東の繁華街は戦前・戦後の建物が密集しており、一大飲食店街になっている。西は近年区画整理され商店街がなくなったが、松本城に近い処に住宅街や歓楽街が残っている。

松本横田
長野県では、明治11年(1878年)に長野市の鶴賀、上田市の常盤城、松本市の横田の3カ所に遊郭がつくられた。かつては、松本電鉄浅間線(松本~浅間温泉)が通じており、車庫が併設された同線の拠点駅があった。現在、新浅間温泉と呼ばれており寂れた旅館街となっている。
 周囲は郊外の農村が宅地化された住宅地。地図を見るとその中に大通りをセンターに配した田の字形街区が見えるので、明らかにここが旧遊郭であったとわかる。街には営業を続けている旅館がまだ多くあり、伝統様式を規範とした旧遊郭らしい建物も若干だが残っている。温泉であることで旅館街としてなんとか存続し得ているのであろう。

浅間温泉
浅間温泉は、平安時代、土地の豪族犬飼半佐衛門によって発見され「犬飼の湯」と呼ばれた。浅間温泉と呼ばれるようになったのは中世とされる。江戸時代に入ると、浅間温泉には初代松本藩主石川数正により「御殿湯」がおかれた。同時に、城主や臣下の武士たちの別邸が建ち並び、この頃より浅間温泉は「松本の奥座敷」と呼ばれることになった。現在、この御殿湯の詰所跡が枇杷の湯として残っている。また、浅間温泉は文人に愛され、正岡子規らアララギ派発祥の地としても知られ、与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人墨客が訪れ、この地で多くのすぐれた作品を残している。
浅間温泉は山裾の館斜面の上に温泉街が形成されている。山の手通りは、小柳湯から飯田屋別館までがかつての「浅間の宿」で、木造の旅館や共同浴場が見られる。小柳湯から下る坂道には大きな屋敷地が見られ、奥座敷の面影を残している。

集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm
Databese 松本大手
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/nagano_data/matsumoto/matsumoto_ote_file.htm
Databese 松本横田
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/nagano_data/yokota/yokota_file.htm
Databese 浅間温泉
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/nagano_data/asamaonsen/asamaonsen_file.htm

4 Comments

  1. ありがとうございます。それにしても、今この年齢になって街並みの面白さが感じられ、若い頃の自分にその感性を教えてやりたい。残念ですね。

  2. ぶら万訪さん、ありがとうございます。大きな城下町の町並みの今は面白いですね、特に町人地の今。定点観測でその変化が見え、面白いです。尚、前篇でも言及されていましたが、飲み屋街はどこかで見た(下北)とのことですが、様々なまちでも同じような印象があります。

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