かつて1万人近い日雇い労働者を集めた簡易宿泊所が連なるドヤ街、山谷――。手配師を使い日銭を稼ぐ労働者から搾取するヤクザは山谷争議団と対立した。寄せ場の支配者へ対決姿勢を示したドヤ街を歩く。
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<参考文献>
『ヤクザと過激派が棲む街』(著者/牧村康正 発行/講談社)
Doya-gai, Sanya, where a row of simple lodging houses used to attract close to 10,000 day laborers. The yakuza, which exploits the workers who earn their daily wages through the use of recruiters, opposed the Sanya protest group. I walk through Doya-gai, where I showed a confrontational attitude to the ruler of the yoseba.
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23 Comments
泪橋、かつての処刑場前ですね
そのうち、ぜひ松戸も特集してください
1:24 あしたのジョーですね。
この辺って、本来の都市計画法上では結構ちゃんとした建物が建つエリアなんだよな。
ただ、山谷という地域性と吉原との近さと駅距離の悪さで、建替えが進んでいるとは言い難い。
まだ南千住や入谷に近い方はいいんだけど、上記の要素でファミリータイプの分譲マンションが作りにくいのが、その大きな原因だと思われる。
おそらく建替えるにしても、ワンルームマンションの一択しかなく、そうなると駅距離の悪さは致命的。
右翼、ヤクザ、過激派・・・、たかが40年程前の話なんですね。高齢化の波が、日本社会もドヤ街も押し流してしまったような気がします。それでも街に残る記憶はそう簡単に消えそうにはないですね・・・。
山谷のような労働者の街もそこに共生する暴力団も、ある種の役割を終えてゆっくりと消滅する過程にあるんだと思います。
そこにこれからは何が形作られていくのだろう、と時々考えます。
山谷も色々あるんですね。
こちら鹿児島市にもなみだの漢字が変わり、涙橋というのがあります。やはり処刑場後とか。
福岡には(多分)こういう街が無いので、あくまで想像ですが…日雇い労働者達も過激派も、そして暴力団組員も高齢化し縮小し、今は高齢者貧民街になってしまったんですかねぇ。ここに若い人達が入って来るとすれば、再開発が行われドヤ街が消滅した時でしょう。
ちなみに、外国人YouTuberが「日本で、東京で最も危険な街に行ってみた!」的な動画を山谷で撮影するんですが、みんな鼻で嗤う。「俺達の国の貧民街を見せてやりたいよ。ここは治安が良い街だ。」と言う。
ご苦労様です✨
山谷は聞いたことがございます。
現在はどうなのかわからないので映像にしてくださると嬉しいです🎵
毎日、暑いですので熱中症にはお気をつけて下さいませ🥤
東京遊びに行った時よく泊まってた
割と近所なんで、昼間に自転車で回ったことがありますが、あまりに静かで拍子抜けしました。ただしさすがに金町一家事務所は近づけませんでした。🤣
大学時代、貧乏で大学学生寮に住んでいたので、動画内に出てきた映画も上映会やっていて知っていましたから。山谷、南千住は大きく変わりましたね。
満男は、この俺の、、、幼い‼️なじみだよ。
台東区は上野に浅草に千束に鶯谷に、濃い下町ですね
先輩のお家があったのでよく遊びに行ってました。
駅から出てすぐにお寺があり、ただならぬ雰囲気を感じたこと、夜1人で歩いているとなんだか怖かったのを思い出しました。
子供の頃台東区に住んでいて、「山谷ってココから近いんでしょ?行ってみたい」と言ったら「興味本位で行ったら本当に○されちゃうから止めなさい!」と親に真顔で怒られました。上野、浅草、下谷、入谷、山谷とどこか強烈な陰のオーラを感じるのは江戸の鬼門だからなのでしょうか?
それでも下町の人情味あふれる素敵な街で、今でも帰りたいなぁ〜と思っています。
水戸街道、墨堤通りを横切り明治通りの白鬚橋を渡りしばらく行くと泪橋交差点があり左折すると山谷ですね。
当時、働いていた会社からは絶対に山谷に近づくな(入るな)と通達が出ていました。ある雨の早朝に手配場に傘も差さずに屯する日雇い人夫の後ろ姿には哀愁が漂い格好良いなと思っていた童貞小僧でした。
20年ほど前まで、手配師さんがいたのかはわかりませんが労働者らしきおじさん達が集会のようなものを開いているのを見かけました。
知り合いは当たり屋に遭いましたし、この辺りを車で通るときは必ずロックをするように親から言われたのを思い出します。
学校行事で徒歩で通らなければならないときは、先生方がピリピリしていました。そこら辺のおじさんから怒号が飛んできたりするので。今の様子は静かですね…
こんな気持ち悪い街に住みたくない
4:50 『暴力団が堅気の山谷争議団に力負けした』→ 中核派(それ以外もいるけど)を堅気呼びしてて草。警察に言わせれば彼らは「極左暴力団」である。
東京民ですが山谷で暴力団と過激派の抗争があったとは知らなかった このchは訪れる地域の歴史背景をしっかりと調べた上で失われつつある風景を現在に残してくれるとても貴重なものだと思います
あとBGMも良いですね
山谷は昔から労働者同士の飲酒と個人間の博打による暴力事件や殺人事件など頻発し、その様な背景から喧嘩が有れば周囲から連絡を受けた暴力団が直ぐに駆け付け仲裁するなど、地元住民や労働者との間で共存共栄の様な関係性を維持していたところ、安保闘争や反戦の名の下に暴徒化する左翼勢力が徐々に山谷に入り込んで労働者を扇動し、それから秩序の均衡が完全に崩れ激しい対立が起きる様になった。それに加え労働者同士の抜き差しならない対立構造までも生じさせた。また左翼勢力に同調する労働者が事件を起こし逮捕されれば、山谷争議で主導権を握った革労協の扇動されるがまま正当性が皆無な抗議活動に参加し警察署や交番を取り囲み暴れ回るといった手が付けられない状況に陥っていた。そんな人権尊重や人命尊重を謳ってい文句にしていた革労協自体は、その後に現代社と労対派に分裂し、更に山谷争議や明大生協の利権を巡って現代社と赤砦社とで対立し分裂。公共の面前で出刃包丁を使用した殺人事件や朝の通学路で敵対する活動家を鉄パイプや手斧で滅多打ちで殺害するなどの凄惨な内ゲバ事件を何件も引き起こした。近年でも毎年行われている年末年始の越冬闘争では、暴力団や右翼を警戒するのではなく、対立相手の革マルや分裂した現代社に対する警戒に重点を置いている始末。全くお粗末な話である。労働者たちは左翼勢力の暴力革命要員として利用されていたのだと考える。
このような事件があったこと、知りませんでした。手配師は派遣会社となり、きれいに体裁を整えました。良くも悪くも、日本が、まだ若くて元気な時代だったんですね。
東京によく遊びに行っていた頃になんちゅう不思議な場所なんだと感じておりました。
景気が良い時代には労働者の街が元気で、それなりに良い意味で荒れていたものです。 が、それにしてもぶっ飛んだ街だちんですね😆
行った事ある
カフェバッファといなり寿司で有名な店
まつむら?だったかな
かんぴょう巻きが 美 味 か っ た