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【ブラジルの次に日系人の多いペルー・日秘文化会館】
ペルーは日系のフジモリ大統領で知られるように日系人が南米ではブラジルの次に多い事で知られます。
ペルーに日本人が住んでいたという記録は安土桃山時代~江戸時代初期にかけて残っていますが、主に日本人がペルーに移住したのは、1899年(明治32年)です。
1899年(明治32年)に森岡商会を仲介役としてペルーへの集団移民が始まり、790名の日本人が移民船「佐倉丸」で横浜港から太平洋を渡り、同年4月3日にペルーのカヤオ港に到着しました。
これは南米への集団移民としても最も古いものであり、新潟・山口・広島出身者が多かったです。(その後の移民としては沖縄や九州出身者が多い)
当初は、南米の気候になれず、チフスやマラリアにかかる人々も多く、死者や病人が続出。1917年にはペルー中央日本人会が結成され、1920年にはリマ日本人学校が創設されるなど次第に日系人の組織化も進み、人口も1923年の時点で17764人に。
先の大戦では、アメリカ要請もあり、日系人2000人が北米の収容所に送られました。
戦後、ブラジルの日系社会と同様に、ペルーでも「勝ち組」と「負け組」の抗争が繰り広げられました。
1950年に太平洋クラブが結成され、1955年にはペルー中央日本人会が復活。ペルー中央日本人会は1984年にペルー日系人協会に発展解消。
日秘文化会館内には1967年に日系人が多く住む地区に開館し、日本語や折り紙、武道(柔道、剣道、合気道、空手)教室、日本食堂や図書館、日本人移住資料館もあり、近隣には日本大使館もあります。
ペルーにおいては日系人は強い力を持っています。フジモリ大統領の娘ケイコ氏は前の大統領選で惜負。(現在はマネーロンダリング疑惑で女性刑務所に収監中)
ペルーというとフジモリ政権下反政府組織によるテロが横行、1996年12月~翌年4月まで続いた在ペルー日本大使公邸占拠事件は記憶に新しいところです。
そして、1997年のペルー陸軍軍人による早稲田大学探検部員2名殺害事件も。
外国では常に慎重かつ、神経を使わねばならないのが実情です。
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