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【4K】桃太郎伝説を現代に伝える備中国一宮:岡山県・吉備津神社(Kibitsu Shrine | Shinto Shrine in Okayama Prefecture)

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は岡山県岡山市に鎮座する旧備中国一宮・吉備津神社(きびつじんじゃ)を紹介したいと思います。

岡山市にはもう一つ旧備前国の一宮神社である吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)が鎮座し、吉備津彦神社と吉備津神社は距離にしてわずか3㎞ほどしか離れていません。

そんな二つの神社の間にそびえるのは霊峰「吉備の中山」。この「吉備の中山」は二つの旧国の境界線の役目も果たし、その麓に鎮座するのが吉備津神社です。

御祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。この神様を知ってる人はあまりいないかもしれませんが、実は日本人だったら誰しもが知っている童話「桃太郎」の題材になった神様なのです。

童話「桃太郎」は桃から生まれた桃太郎が鬼退治に行き、無事に成敗するというお話。しかし、吉備の国(現在の岡山県)に伝わる桃太郎伝説は、我々が小さい頃に教えられた童話の「桃太郎」とは大きく異なります。

吉備の国に伝わる桃太郎伝説の舞台となったのは岡山市に隣接する総社市にある鬼ノ城(きのじょう)。国の史跡にも指定される山城跡で、標高397mの鬼ノ城山の頂上に石垣や門が現在でも見られる場所です。

吉備の国の桃太郎伝説は桃太郎が桃から生まれるのではなく、鬼が襲来することから始まります。ある日、吉備の国に百済(現在の朝鮮半島にあった国)の王子・温羅(うら)がやってきて、鬼ノ城に住みつきます。温羅は酷い乱暴者で、城の下を通る船をことごとく襲って荷物を奪い去るなどまさに鬼と恐れられていました。

鬼ノ城には温羅に歯向かうものを釜茹でにしたという直径1.8mの「鬼の釜」という鉄釜が今でも残されており、温羅の暴君ぶりを現代に伝えています。

乱暴者の温羅に困り果てた吉備の人々は朝廷に助けを求めました。そして、朝廷は第7代・孝霊天皇の御子である吉備津彦(きびつひこ)を吉備の国に遣わすのです。

その後、「吉備の中山」に陣取った吉備津彦と鬼ノ城に住まう温羅の戦いが始まり、二人は激しい弓の打ち合いを行います。しかし、どちらも弓の名手であったことからお互いに放った矢は空中で火花を散らして当たり、お互いの陣の間に落ちてしまって届きません。

そこで、吉備津彦は一計を案じ、二本の矢を同時に放ちます。温羅はそれとも知らずにそれまで通り一本の矢を放ち続けました。すると吉備津彦が放った二本の矢のうちの一本が温羅の目に突き刺さり、大量の血が一筋の川となって流れだし、下流の浜を真っ赤に染め上げたといいます。

目を撃ち抜かれた温羅は「これはかなわん」とキジに姿を変えて逃げようとしますが、それを逃すまいと吉備津彦はタカに姿を変えて追います。追いつかれると思った温羅は今度は鯉(こい)となって川に飛び込みますが、吉備津彦は鵜(う)に姿を変えて鯉となった温羅をくわえて捕まえ、その首をはねたのです。鵜となった吉備津彦が、鯉に姿を変えた温羅を退治した場所は倉敷市の「鯉喰神社」として現在でも伝わっています。

温羅を退治した吉備津彦は「吉備の中山」の麓にお宮を建て、281歳の天寿を全うしたとされています。

備中国と備前国、そして現在の広島県にあった備後国はかつて「吉備国」という一つの国として存在していました。吉備国が分割される前から吉備津神社は吉備国の総鎮守であり、吉備津彦神社の大本というべき由緒を持っています。

松並木の参道から石段を登って境内に入ると、すぐに見えてくるのは壮大な拝殿と本殿。大きな屋根がまるで翼を広げたかのように眼前に迫ってくる豪壮な本殿(動画では2:05~3:14の間で登場)は、比翼入母屋造という独特な建築様式。平入の2棟が連なる全国で唯一の大変貴重な建築物で、国宝にも指定されています。

吉備津神社の一番の見所は境内を南北に貫く、360mにも及ぶ長い廻廊。自然の地形のままに境内を縦断する形で一直線に建てられています。戦国時代に作られ、かつては現在の3倍の長さがあったと伝わります。

そんな廻廊を拝殿・本殿を出発点として歩いていくと廻廊が途中で右手に分かれ、「御竃殿」(おかまでん)(動画内では5:10から登場)と呼ばれる建物に到着します。ここは吉備津彦と温羅の伝説を締めくくる逸話が息づく、とても珍しい場所として有名です。

人々を苦しめる乱暴者の温羅を成敗した吉備津彦命。しかし、吉備の国に伝わる桃太郎伝説によると温羅は首だけの姿になっても唸り続けていたとされています。それを受けて吉備津彦は吉備津神社の御竃殿の下に温羅の首を埋めますが、恐ろしいことにそれでも首は唸り続けます。

そんなある日の事、吉備津彦の夢の中に温羅が現れ、「私の妻である阿曽媛(あぞひめ)に御竃殿の御饌(みけ)を炊かせよ。幸福が訪れるなら竃は豊かに鳴り響き、災いが訪れるなら荒々しく鳴るだろう」と言いました。吉備津彦はそのお告げ通りにすると唸り声は収まり平和が訪れたとされています。

それ以来、吉備津神社では温羅の伝説にまつわる特殊神事「鳴釜神事」をこの御竃殿で行っています。御竃殿の中には一つの釜があり、その釜の上に蒸篭(せいろ)を置いて中に米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を炊いた時になる音の強弱・長短などで吉凶禍福を占うのが鳴釜神事です。釜から鳴る音は何を意味しているのかは音を聞いた者が各自で判断し、神職は何も言いません。更に、鳴釜神事では温羅の妻である阿曽媛の郷の女性が奉仕して成立するという決まりがあり、その神事に奉仕する女性は「阿曽女(あぞめ)」と呼ばれています。

御竃殿で鳴釜神事が行われていない時は、釜が火でたかれている光景を見学することが出来ますが、原則として撮影は厳禁。その場に行った人にしか神秘的な神事の光景を見ることは出来ません。神事が行われていることは御竃殿から煙が出ていることで把握することは出来、その様子は撮影可能です(動画内では5:17から)。

数々の伝説が息づく吉備津神社。そんな同社の様子をこの動画を通してご視聴いただけると幸甚です。

Kibitsu Shrine is a Shinto shrine in Okayama, Okayama Prefecture, Japan.

Kibitsujinja Shrine is closely associated with the figure believed to have inspired the famous Japanese folk tale “Momotaro.”

Rebuilt in 1425, the building at the heart of the shrine has been designated a National Treasure.

However, the shrine’s grandest feature is its large corridor some 360 m long. While heading to the rear of the corridor, which stretches out in a straight line, visitors will be able to see beautiful seasonal flowers along both sides of the corridor. Starting with cherry blossoms in early spring and peonies and azaleas in May, the shrine offers many worthwhile sights, most notably the 1,500 hydrangeas that fully bloom every June in the “Ajisai-en Garden (Hydrangea Garden).”

In 1873, the shrine was given the rank of Kanpei-Chūsha, or imperial shrine of the second rank, in the Modern system of ranked Shinto Shrines under State Shinto.

Alo Japan.