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【4K】背後に神体山を抱く朝日の宮:岡山県・吉備津彦神社(Kibitsuhiko Shrine | Shinto Shrine in Okayama Prefecture)

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は岡山県岡山市に鎮座する旧備前国一宮・吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)を紹介したいと思います。

前回ご紹介した旧備中国一宮の吉備津神社とは霊峰「吉備の中山」を挟み、相対して鎮座する吉備津彦神社。両社の間の距離は約3㎞程しか離れておらず、また両社は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を祀っているなどの共通点が存在します。

【参考】吉備津神社

古くから備前国一宮として崇敬を集める吉備津彦神社は夏至の日に太陽が正面鳥居の真向かいの山から昇ることから「朝日の宮」とも呼ばれています。

二つの神池の間に延びる参道を進み、随神門を抜けると高さ11mの日本一大きな燈籠が参拝客を出迎えます。更に進んで石段を昇ると「吉備の中山」に抱かれるように社殿群が立ち並ぶ圧巻の光景。

前回の備中国一宮・吉備津神社の動画をご覧になった方だったら分かると思いますが、吉備津彦神社の社殿は、同じ御祭神を祀り、かつ数kmほどしか離れていない吉備津神社(備中国一宮)とは大きく異なる造りをしています。

吉備津神社は入母屋造(いりもやづくり)という寺院にも用いられる仏教的な建築様式。この建築様式は神武天皇以降に誕生した神様を祀る社に用いられており、鎌倉時代初期には建築様式として成立したとされています。代表的な入母屋造の神社は京都の北野天満宮と八坂神社。

北野天満宮のご祭神は菅原道真、八坂神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)ですが明治の神仏分離以前はインド伝来の牛頭天王だといわれていました。つまりどちらも神代よりあとの神様。それは吉備津神社のご祭神である大吉備津彦命も同様です。だから前回ご紹介した吉備津神社は北野天満宮などと同様に入母屋造の社殿なのです。

それに対して吉備津彦神社の社殿は神社建築が伝統とする流造の正当な姿を残す造り。これは吉備津彦神社の本殿が火災によって焼失した後の1697年に岡山藩池田家によって熱田神宮を参考に再建されたためです。元々は吉備津神社と同様に入母屋造の社殿であったといわれていますが、現在ではどのような社殿であったかは正確には分かっていません。

このような神社建築様式の相違と、歴史を紐づけると参拝時の楽しみがまた一つ増えるのではないかと思います。

さて、御祭神である大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)は日本人だったら誰しもが知っている童話「桃太郎」の題材になった神様。

吉備の国(現在の岡山県)に伝わる桃太郎伝説によると、百済の国から来た王子・温羅(うら)が吉備の国で悪さをし、民衆を苦しめていたため、それを退治するために朝廷から派遣されたのが大吉備津彦命とされています。

大吉備津彦命は温羅を退治し、吉備の国に平和をもたらしますが、そんな吉備の国の桃太郎伝説が息づく社が吉備津彦神社の後方に存在します。

それが末社である「温羅(うら)神社」です(4:52で登場)。 吉備津彦神社の巨大な社殿と比べると非常に小さいな社。この小さな社では社名の通り、大吉備津彦命に討たれた温羅を祀っていて、大吉備津彦命と温羅との戦いの伝説を今に伝えています。

また、この温羅神社から近いところには霊峰「吉備の中山」の登山口があり、ここから標高160mほどの御神山に登拝することが可能です。

吉備の中山の頂上の様子は動画の5:20から

山頂には経塚や荘厳な磐座(いわくら:神霊を祀る石)が数多く存在し、古くからの信仰の跡が見てとれます。そして経塚のすぐ隣には末社・龍神社。この地の平定のため、神が降り立った聖なる山の象徴とも言われ、この小さいな社に参拝するためにわざわざこの山頂まで来る参拝客もいるほどです。

前回ご紹介した吉備津神社、そして今回ご紹介させていただいた吉備津彦神社の二社に通じる吉備路を歩くことは、先の温羅伝説をはじめ、記紀神話では記述されなかった神代の面影に触れることが出来るはずです。

Kibitsuhiko Shrine is a Shinto shrine in Okayama, Okayama Prefecture, Japan.

Kibitsuhiko Shrine is closely associated with the figure believed to have inspired the famous Japanese folk tale “Momotaro.”

The inner shrine was rebuilt in 1697, while most other buildings were reconstructed in 1936 after a destructive fire in 1930.

Kitbitsuhiko Shrine is the chief Shinto shrine (ichinomiya) of Bizen Province. The enshrined kami is Kibitsuhiko-no-mikoto, who was the son of Emperor Korei.

The shrine is one of 50 national shrines of the lowest rank or Kokuhei Shōsha.

Alo Japan.