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【4K】秋の紅葉に彩られる日光の神域:下野国一宮・日光二荒山神社(Nikkō Futarasan Shrine | World Cultural Heritage Site)

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どうも、管理人のヒロリンです。

今回は、日光東照宮、輪王寺と共に「日光の社寺」として世界遺産に登録されている旧下野国一宮・日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)を紹介したいと思います。

華厳の滝(けごんのたき)、中禅寺湖、戦場ヶ原など多くの景勝地に恵まれた日光連山に鎮座する日光二荒山神社。

その社殿群は、杉の古木が生い茂る自然の景観に穏やかに溶け込み、隣接する豪華絢爛な日光東照宮とは好対照をなしています。

鎌倉時代には下野国(しもつけのくに)一宮として武将や豪族の信奉を集め、黄金期を築き、西暦1619年には徳川2代将軍秀忠によって現在の本殿が造られ、朝廷から庶民まで広く崇敬を集めるようになった神社です。

そんな日光二荒山神社の境内は大きく分けて3つのエリアからなります。
①本社(日光市山内)
 日光東照宮に隣接し、世界遺産「日光の社寺」エリアの最奥に位置する場所に鎮座しています。

②中宮祠(日光市中宮祠)
 中禅寺湖畔に鎮座。男体山(なんたいさん)表登山道入り口を兼ねています。男体山山頂と、麓の本社の中間の位置に鎮座しているため「中宮祠」と呼ばれるようになりました。

③奥宮
 男体山山頂に鎮座。

男体山の他に、女峰山(にょほうさん)、太郎山(たろうさん)からなる日光三山、更には日光連山を境内地とし、その面積は3400haと非常に広大な面積を誇ります。これは、伊勢神宮に次いで日本で二番目に広い境内面積となっており、奥日光で有名な「華厳の滝」や「いろは坂」も日光二荒山神社の境内地なのです。

日光二荒山神社のはじまりは古代の山岳信仰にまでさかのぼることが出来ます。北関東の人々は美しい円錐形の男体山(別名:二荒山)を大己貴命(おおなむちのみこと)、隣接する女峰山(にょほうさん:標高2464m)をその妃神の田心姫命(たごりひのめのみこと)、太郎山(たろうさん:標高2368m)を御子神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)として崇めてきました。これら三柱の神々は「二荒山大神」と総称されています。

奈良時代後期の西暦766年、旧下野国出身の勝道上人(しょうどうしょうにん)が大谷川の激流を渡り、現在世界遺産に登録されている日光の玄関口「神橋」のある場所で男体山を拝むと、背後から紫色の雲が湧きたちました。

これに霊感を得た上人は翌年、大谷川の北岸に二荒山大神を奉祀。これが二荒山神社の歴史の始まりとなります。

男体山登頂を何度も試みた上人は、その過程で中禅寺湖や、日本三大名瀑と名高い「華厳の滝」を発見。そして、勝道上人は二度の登山失敗の後、西暦782年に三度目の男体山登山を決意。中禅寺湖畔に至って経を読み仏を礼すること7日。神仏の加護をひたすら祈って男体山の登山の途につきます。

湖畔から約1200メートルの山頂までの山道は平坦な道がほとんどない急坂。登山道が整備されていない急坂には樹木が生い茂り、そこの間をよじ登っていくしかない状況は苦労の連続だったといいます。

身は疲れ力は尽き、途中二夜のビバークを重ねて元気を取り直しては登山をつづけ、とうとう山頂に到達。その時の様を勝道上人はこう記しています

「終にその頂を見る。恍恍惚惚(こうこうこつこつ)として、夢に似たり(中略)一たびは喜び、一たびは悲しみ、心魂持ち難し」

何度も挫折しそうになりながらも、遂に目標(登頂)を達成する。その心持は登山家でなくても共感するところがあるかと思います。

奥日光を撮影するうちに、美しい山容に惹かれて僕が男体山の登拝をしたのが10月末。肌寒い気温ながらも急斜面を登っていくうちに身体は次第に汗ばむ。ガレ場の連続、平坦な道がほとんどない急坂。勝道上人も苦しめた男体山の山道に心が折れかけますが、その時に去来した想いは「登った人にしか分からない男体山の神秘的な姿を拝んでみたい」という気持ちでした。

登り始めて約3時間半。遂に男体山山頂に到達。勝道上人と同じく恍恍惚惚。歓喜で細胞の一つ一つが沸騰するかのような感覚を覚えました。眼下に広がるのは中禅寺湖と山々が造り出す秀麗雄大な景色。これぞまさに『神の造形の傑作』。古来より人々を魅了してきたその姿。神社の社殿や日光二荒山神社の境内にある雄大な自然と共に、山頂からの光景の素晴らしさがこの動画から少しでも伝われば幸甚です。

【簡単な動画の解説】
神橋 0:12 :奈良時代から尊ばれてきた神聖な橋で、橋脚が鳥居の形になっているのが珍しい
本社 0:21:世界遺産エリアにある日光二荒山神社の中心地
本宮神社 3:33:神橋を渡ってすぐの場所に鎮座する別宮。ここが二荒山神社の発祥地
若子神社 4:26:摂社。見事な景観を作り出す「寂光の滝」があることで有名
滝尾神社 5:10:白糸の滝付近に鎮座する別宮。
いろは坂 5:56:奥日光へと通じる道路。中宮祠、奥宮へと行く参道として整備された道。
華厳の滝 7:49:日本三大名瀑の一つ。ここも日光二荒山神社の境内地というのだから驚くほかない。
湯滝、竜頭の滝 8:18:奥日光三名瀑の滝。
中宮祠 9:10:奥宮と本宮の間に鎮座する神社。ここに男体山唯一の登山口がある。
奥宮 12:50:男体山山頂に鎮座。頂上には長さ3.3mの巨大な神剣が立っていて、中禅寺湖と戦場ヶ原が眼下に広がる光景はまさに絶景。

Nikkō Futarasan Shrine is a Shinto shrine in the city of Nikkō, Tochigi Prefecture, Japan.

Futarasan enshrines three deities: Ōkuninushi, Tagorihime, and Ajisukitakahikone. It is located between Nikkō Tōshō-gū and the Taiyū-in Mausoleum. Many visitors go to all three, as well as to Rinnō-ji.

Together with Nikkō Tōshō-gū and Rinnō-ji, it forms the Shrines and Temples of Nikkō UNESCO World Heritage Site. The shrine possesses two swords that are National treasures of Japan. Additionally, dozens of buildings and cultural artifacts are listed as Important Cultural Assets.

The Sacred Bridge (Shinkyō) crossing the Daiya River belongs to the Futarasan Shrine. This beautiful vermilion lacquered structure is known as one of the three most beautiful bridges in Japan and is a perfect gateway for Nikko. The bridge was registered as a World Heritage in December 1999. Shinkyo measures 28 meters long, 7.4 meters wide, and stands 10.6 meters above the Daiya River.

According to legend, a priest named Shōdō and his followers climbed Mt. Nantai in the year 766 to pray for national prosperity. However, they could not cross the fast flowing Daiya River. Shōdō prayed and a 10 foot tall god named Jinja-Daiou appeared with two snakes twisted around his right arm. Jinja-Daiou released the blue and red snakes and they transformed themselves into a rainbow-like bridge covered with sedge, which Shōdō and his followers could use to cross the river. That is why this bridge is sometimes called Yamasugeno-jabashi, which means the “Snake Bridge of Sedge”.

The shrine was founded in 767 by Shōdō shōnin. The shrine takes its name from Mount Nantai, which is also called Futarasan.

From 1871 through 1946, Futarasan was officially designated one of the Kokuhei Chūsha, meaning that it stood in the mid-range of ranked, nationally significant shrines.

Alo Japan.