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どうも、管理人のヒロリンです。

今日は千葉県の房総半島の先端に位置する安房国一宮・安房(あわ)神社を紹介したいと思います。

個人的に、ここは千葉県の中でトップクラスに素晴らしい桜の名所だと思っているんですよね。何故ここがガイドブックなどで取り上げられないのかが不思議なぐらいで。

そんな安房神社は明治時代に制定された近代社格制度で、最も格式高い『官幣大社(かんぺいたいしゃ)』に指定された非常に御神徳が高い神社としても有名です。

でも、全国にある旧官幣大社の中では比較的小さい神社で、30分もあれば一通り参拝出来るぐらいの規模しかないんです。千葉に住んでいる僕の会社の先輩も「えっ!?あそこって官幣大社だったの?!」って驚いていたぐらいなので。

近所に住んでいるオジサンが実は機械化していて人々を救っていた(@漫画「いぬやしき」)って事実を知った時ぐらいの驚き様。

何故このような神社が官幣大社という社格を持つまでになったのか、それはここで祀られている神様と、神社が創建された経緯によるところが大きいんです。

安房神社で祀られている神様は天太玉命(あめのふとだまのみこと)

この神様は、伊勢神宮で祀られている天照大神(アマテラスオオミカミ)が、弟(スサノオ)が暴れまくったことが原因で洞窟(岩戸)に隠れた時に、その天照大神を引きずり出すことに成功した神様の一人。

太陽神である天照大神が岩戸に隠れたことで、世界が暗闇に包まれたことから、光を取り戻すべく岩戸から天照大神を引きずりだすため、天児屋根命(あめのこやねのみこと)とともに祭祀を執り行ったことが古事記で描かれています。

僕の中でのイメージは、天太玉命「出てこい橋本―――!」

と言わんばかりの勢いで天照大神を引きずりだすために祭事を行ったに違いない。または、

天太玉命「なぁ、色々と話してみないか天照大神」

と優しく諭すような、夜回り先生:水谷修のようなイメージ。それが僕の中の天太玉命のイメージです(ぇ

そんな天太玉命は祭事に必要な鉾や鏡の製造を司っていたので「産業やあらゆるものを創り出す神様」。つまり、モノづくり日本にとっては極めて重要な神様として昔から崇敬を集めてきた神様。相殿にも5柱の神様が祀られているけど、いずれもモノづくりに関係あり。

・櫛明玉命(くしあかるたまのみこと):装飾・美術の神
・天日鷲命(あめのひわしのみこと):紡績・製紙の神
・天目一箇命(あめのまひとつのみこと):金属の神
・彦狭知命(ひこさしりのみこと)、手置帆負命(たおきほおいのみこと):森林・建築・武具製造の神

まさに、モノづくりのご利益満載、野村萬斎も驚くほど満載。

さて、そんな安房神社。社名の『安房』という字にも表れている通り、房総半島の先端に昔あった安房国の一宮でもあったんです。この安房(あわ)という国名は、四国の徳島県にあった旧阿波(あわ)国から移住した人々にちなんで名づけられたとされています。

徳島から千葉?!

地図で表すまでもないぐらい距離が離れていることは容易に想像がつくかと思います。新幹線とか乗り継いでも6時間はかかる距離。こんなに離れた場所同士が関係があるとは、一体どういう経緯があったんだろうか?阿波国(徳島)の人々が房総半島に移住するきっかけになった神様が、安房神社で祀られている天太玉命の孫:天富命(あめのとみのみこと)。

天富命(あめのとみのみこと)は忌部氏(いんべうじ:古代氏族)を引き連れ、肥沃な土地を求めて、旧阿波国(徳島県)に行って穀・麻種を植え、国土開発を進めたとされています。

その後、忌部氏と天富命は更に肥沃な土地を求めて黒潮に乗り、海路にて房総半島の南端、つまり旧安房国に上陸してこの地を開発したことが、平安時代にまとめられた「古語拾遺(こごしゅうい)」という資料にまとめられています。

距離こそ遠く離れているけど、四国と房総半島は海で繋がっています。房総半島に上陸したのは今から2700年前ごろとされているけど、この当時でも海上交通は発達していて、古代人がそれを利用したことが最近の研究でもわかっています。

黒潮に乗ってはるばる四国から房総半島にやってきたという荒唐無稽とも思えるエピソードは絵空事ではないのかもしれないですね。

このように房総半島の旧安房国と、徳島県の旧阿波国とを結びつける稀有な神社として小さい神社ながらも特別な神社という認識が広まり、戦前の格式では「官幣大社」に位置付けられたのです。

安房神社は冒頭でも述べた通り、隠れた桜の名所でもあります。白い鳥居と桜の花びらの組み合わせが非常に美しく、何故ここが桜の名所としてガイドブックに載ってないんだろう?と不思議に思うほどなんですよね。桜が咲いた時期に是非参拝して欲しい神社です。

The Awa Shrine is a Shinto shrine in the city of Tateyama in Chiba Prefecture, Japan. It is one of two shrines claiming to hold the title of ichinomiya of former Awa Province.

The primary kami of Awa Shrine is the Ame-no-Futodama-no-mikoto.

This god is one of the gods who succeeded in pulling out Amaterasu Omikami enshrined at Ise-Jingu when she hid in a cave because her younger brother (Susanoo) went berserk.

The book Kojiki, which deals with Japanese mythology, describes that Amaterasu-Omikami, the sun god, hid in the cave of the sun, and the world was enveloped in darkness; Ame-no-Futotama-no-Mikoto and Ame-no-Koyane-no-Mikoto performed rituals to pull Amaterasu-Omikami out of the cave in order to regain the light.

The date of Awa Shrine’s foundation is unknown. Shrine tradition and the Kogo Shūi records of 807 AD gives the founder as a member of the Inbe clan, (the precursors to the Nakatomi clan) during the reign of the legendary Emperor Jimmu. The shrine is mentioned several times in the early Heian period Rikkokushi and it is mentioned again in the Engishiki records.

It has been styled as the ichinomiya of Awa Province since at least the end of the Heian period, and enjoyed the patronage of the Satomi clan, and subsequently the Tokugawa shogunate until the end of the Edo period.

After the Meiji Restoration, it was granted the rank of Kanpei Taisha (1st ranked Imperial Shrine) under State Shinto in 1875. The present Honden dates from 1881.

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