2019.01.11(金) 本棚から取り出した一冊の茶色くなった本、フジサンケイリビング総武・常磐編集室編集の昭和50年(1975)11月発行<京葉散歩>千葉市編を参考に歩いてみました。発行から40年を経過し、町の様子も大きく様変わりしています。本人も大きく様変わりしてしまいました。さて、無事に歩けるでしょうか?
人口は千葉市になった大正10年(1915)当時は4万人ほど、戦後、川崎製鉄(現・JFE千葉)が千葉市で操業を始めた頃の昭和30年(1955)当時で20万人、この本が発行された当時は周辺にたくさんの団地が完成し急増で60万人、現在は約98万人(2018)と昭和38年(1963)国鉄千葉駅が現在地へ移転した頃の3倍の人口となりました。
平安末期から戦国の世までは千葉氏の拠点として栄えた様ですが、江戸期は佐倉藩の所領となりました、しかし、特に栄えること無く、妙見宮(現・千葉神社)の門前町だった様です。明治から戦前は軍都となりました。
軍の施設や軍需産業の工場などもあったことで、米軍の2回による大空襲で市街地の大半は焼け野原となりました。2千人近い犠牲者が出ました。戦後、川崎製鉄が製鉄工場を設置し、千葉市は大きく伸びて行くことになりました。その反面、公害との戦いも続きました。現在、綺麗になった街や空を見て、空襲や公害も忘れ去られようとしています。

千葉市なつかしのフォトギャラリー

其の一の一
JR千葉駅から現在も変わり続ける市街を歩きました。 千葉駅はたまに訪れていたのですが、フクロウ交番側しか歩いていなかったので、高架側からヨドバシカメラに抜ける道が工事で塞がっていたのに驚きました。 両側のビルを取り壊し、再開発が始まっていました。三越もパルコも閉店し、中心部の過疎化が心配です。
※2019年8月現在、冒頭の機関庫の記念碑は撤去され、跡地にはビアガーデンがオープンしていました。
コース
JR千葉駅→女子師範学校跡→京成千葉駅跡(中央公園)→栄町→旧国鉄千葉駅跡(千葉市民会館)→万葉軒→千葉神社

※ビデオ内の説明は本を参考に、ネットなどで検索し記載していますが、間違いもあるかも知れませんので、ご了承願います。

其の一の二

千葉市歴史散歩リスト

関連動画
2016.11.20 千葉駅リニューアルオープン

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