2019.02.10(日) 本棚から取り出したフジサンケイリビング総武・常磐編集室編集の昭和50年(1975)11月発行<京葉散歩>千葉市編を参考に歩いてみました。発行から40年を経過し、町の様子も大きく様変わりしています。
人口は千葉市になった大正10年(1915)当時は4万人ほど、戦後、川崎製鉄(現JFE千葉)が千葉市で操業を始めた頃の昭和30年(1955)当時で20万人、この本が発行された当時は周辺にたくさんの団地が完成し急増で60万人、現在は約98万人(2018)と昭和38年(1963)国鉄千葉駅が現在地へ移転された頃の3倍の人口となりました。
平安末期から戦国の世までは千葉氏の拠点として栄えた様ですが、江戸期は佐倉藩の所領となりました、しかし、特に栄えること無く、妙見宮(現・千葉神社)の門前町だった様です。明治から戦前は軍都となりました。
軍の施設や軍需産業の工場などもあったことで、米軍の2回による大空襲で市街地の大半は焼け野原となりました。2千人近い犠牲者が出ました。戦後、川崎製鉄が製鉄工場を設置し、千葉市は大きく伸びて行くことになりました。その反面、公害との戦いも続きました。現在、綺麗になった街や空を見て、空襲や公害も忘れ去られようとしています。
千葉市なつかしのフォトギャラリー
コース
JR本千葉駅→龍蔵神社→君待橋跡→厳島神社→寒川大橋→神明緑地→王子神社→大橋(旧寒川大橋)→君待橋→神明神社→白幡神社→千葉ダイエー店跡→京成千葉中央駅前→千葉電燈会社跡→新宿小学校(千葉高女跡)→新宿公園→千葉ポートアリーナ→千葉市役所→港公園→県立美術館→千葉ポートパーク→ケーズハーバー→JR千葉みなと駅→登渡神社→京成新千葉駅
其の三の二
千葉ポートアリーナ地区を出て、1970年築の市役所へ向かいます。老朽化と言うことで2020年から庁舎建替が始まります。隣の港公園は初めて訪れました。元市長の宮内三朗氏の胸像がありました。5期20年に渡り市長に就任し、千葉市発展に尽力された市長です。
31歳で市長となった熊谷俊人氏も頑張っている様です。
千葉中央署前を抜け県立美術館で用を足し、県民500万人突破記念で完成した千葉ポートパークを巡り、2016年に完成したケーズハーバーから京葉線千葉みなと駅を通り、登渡神社へと参拝し、京成新千葉駅でゴールをしました。
※BGMに「Music Material」さんのフリー楽曲を使用しています。
※ビデオ内の説明は本を参考に、ネットなどで検索し記載していますが、間違いもあるかも知れませんので、ご了承願います。
其の三の一
千葉市歴史散歩リスト
関連動画
2017.06駅からハイキング千葉
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