【終点にはかつて使われた営団地下鉄の車両が】10年前に廃止された駅に今も残る弾痕 長野電鉄屋代線『後編』
[音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] ສ [音楽] ສ [音楽] [音楽] [音楽] ສ [音楽] ສ [音楽] [音楽] うん。 [音楽] R [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽]
こんにちは!旅さんぽです。
今回は、長野県千曲市の屋代駅から須坂市の須坂駅までを結んでいた「長野電鉄屋代線」の廃線跡を訪れました。
この屋代線は1922年(大正11年)に開業し、かつては千曲川東岸の地域を結ぶ重要な交通手段として利用されていました。沿線には繊維産業が栄え、その物流を支える大動脈でもありました。また、一部では国鉄の急行列車と直通運転を行い、多くの旅人を湯田中温泉や志賀高原へと運んだそうです。
しかし、時代の流れとともにモータリゼーションの進展や産業構造の変化により利用者が減少。沿線自治体により支援が続けられる中、2012年4月に廃線となりました。
そんな屋代線のをたどる旅、ぜひ本動画でお楽しみください!
また、このような旅動画や戦争遺産、廃スポットの紹介を今後も配信していきますので、ぜひチャンネル登録もよろしくお願いします!
0:00 オープニング
0:22 長野電鉄屋代線の概要
1:13 松代駅から廃線を辿る
5:22 長野空襲の弾痕が残る信濃川田駅
8:29 信濃川田駅から終点へ
12:29 今も残る営団地下鉄の車両
13:29 エンディング
6 Comments
コメント失礼します! 前編から来ました! ご指摘の通り゙サイクリングロード 中途半端なんでね!
屋代駅から須坂駅迄 自転車予定です。イオンモールが出来るそうで
栄枯盛衰ですね~! 都内から
新幹線に折り畳み自転車を乗せて
城趾 廃線巡り中 戸倉上山田温泉の裏山も珍しい物件にも興味津々
屋代線は元々は長野電鉄の本線格の路線だったのに残念。
屋代高校周辺や旧松代駅周辺を歩くと現役だった頃を思い出す。
若穂って昔からある地名じゃなくて綿内 川田 保科の頭文字だったのね
ここの路線は俺が小さい時から見てきた路線です。無くなって悲しかったなぁ…
屋代線なんとか生かすことができなかったのかな・・。
自治体で活性化できれば今も残っていたのにとつくづく思います。
松代までは長野市のベッドタウンとして住人も多く工夫すればまだまだ行けたのは無いかなぁと
須坂駅の構内と駅前はもう寂れ具合がひどくかつての賑わいはもうないのかも
須坂駅に留置された旧営団3000系も、以前そこにあったOSカーや2000系の様にいずれは解体されるんだなぁ