2023年12月8日午後1時半前に日本の福岡市中央区渡辺通1丁目周辺を歩く4k japan walking tour Fukuoka around Watanabedori 1 Fukuoka city,Japan
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5 Comments

  1. 半世紀前の昭和の時代、天神辺りでタクシーを拾って行き先を「一丁目まで」と告げると

    何の反問もなく運転手さんは現在のサンセルコ付近まで運んでくださいました。

    当時「渡辺通り」「高砂」「清川」「住吉」の一丁目が奇跡的にクロスするこの一帯は

    通称「一丁目」と呼ばれ親しまれてきました。

    界隈の店舗名も「一丁目薬局」「一丁目郵便局」「一丁目うどん」等々の「一丁目」を冠にした

    店舗名を多く見かけたものです。

    中でも8:33のアヒルの看板の位置に存在したのが一丁目のシンボルと呼ばれていた「一丁目饅頭」のお店でした。

    「饅頭」と「たい焼き」を一日千個作る人気の老舗店で、私も1個30円の絶品の饅頭を毎度購入していたものです。

    1976年(昭和51年)子門真人氏の「およげ!たいやきくん」が450万枚の空前のセールを記録した特需効果

    で、同店にたい焼きを求める長蛇の列ができていた光景が忘れられません。

    「サンロード商店街」も思い出いっぱいですね。もはや1:34の「肉の山形屋」くらいしか残っていない現状です。

    2:26のヘアーサロンの場所には昭和の時代「おもちゃのいなりや」という老舗有名店が存在していました。

    父に連れられての同店でのおもちゃショッピングはワクワクする至福のひと時でしたね。

    令和の現在、個人経営の「おもちゃ屋さん」は絶滅危惧種状態なようです。少子化、大規模量販店の登場、ネット通販、ゲーム業界の隆盛等々。。。悲しい時代の流れですね。

    6:53の「サニー渡辺通店」。今は西友に吸収され屋号での存続ですが、今年で58年目の愛される老舗スーパー

    です。我が家の買い物のほとんどは当店でした。

    半世紀前、同店のレジスターはアナログ機械式で数字表示もドラム回転式でした。

    もちろん今みたいにバーコード読み取りやPOSシステムなどはなく、商品値段を目視しての手動入力でした。

    この当時のレジのおばさんスタッフは「レジ打ち職人」ともいうべき達人の方々の集まりでした。

    右手に商品を持ち、ノールックで左手でレジボタンをガチャガチャと小気味良く打ち込む様には子供心に

    「すごかねぇ~」と毎度感嘆させられておりました。今でいうところのキーボードの「ブラインドタッチ」ですね。

    まさに、場数を踏んだ事上磨錬の職人芸でした。

    また、当時は「持ち手付きビニールレジ袋」は存在せず、茶色の大きな紙袋に入れて持ち帰っていました。

    バックに入れず左手で持って前面に抱き抱えるスタイルだった母の姿が今でも目に浮かびます。

    よく破れて商品が落下することもしばしばでした。現行のレジ袋がなんと便利なのかと痛感させられます。

    思い出いっぱいでキリがなくなるのでこの辺で(笑)。

    最後に8:36の「信号待ちの三角州」。半世紀前からずっと存在する信号待ちの狭小スペースです。

    少年時代ここに立って信号を待ちながら辺りを見渡すのが好きでした。

    レストランロイヤル、ビヤ樽オブジェのとんかつ屋、二階建てのサニー、花園町商店街、電気ホール、西鉄路面電車、等々。。。 
    みんな無くなってしまいました。変わらないのは青空だけ。。。

    独りよがりの感傷をばご容赦くださいませ(笑)。

    今回リクエストにお応えいただきありがとうございました。懐かしさを想起させていただける良い動画ありがとうございます。

  2. このあたりは、よく自転車使ってよく行ってましたw
    オススメのお店を紹介したいですが、ここのは秘密にしときますw
    だ、だってライバル増えたら嫌だもん(錯乱w

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